蝉は二度死ぬ
はるな



紫の残暑が湧き出る。コンクリートの硬質を嘲笑うように。明るいところとそうでないところをたがいちがいに踏みつけながらきのう見たテレビを思い出している。
それはせみの羽化の映像で、ナレーションは羽化を神秘として紹介している。褐色の蝉の幼虫が木をよじのぼり、位置をただすとしばらくして背の割れ目から乳白のぬめったからだがうまれる。徐々に。神秘?残暑の頭上には耳の割れるほどの蝉時雨。このすべてが神秘?

床に座ってそれをみた。夜中に。蝉のしがみつく幹は、どこかの森に生える木だろうか、周囲の茂みは深く闇も濃い。窓の外の夜と、テレビの内側のこの夜はほんとうにつながっているのだろうか。この地平の続くどこかで蝉が羽化しているのか。わたしの知らない場所で。わたしの生きている時間のうちに。
丸みを帯びてぬめる、乳白色。あれは何かに似ている。人間の生まれるさまによく似ている。はねを広げ、青みがかって皺のよった羽がみるみる透き通りぱりっとしていくのも、青ざめた赤ん坊がはじめての呼吸を経て血の色を得る過程によく似ている。
しかし蝉はすでに産まれているのだ。土のなかに。太った虫として七年間生きて、もう一度産まれるのか。交尾?鳴くために。

神秘、ではあるのかもしれないけれど、そのぬめりはわたしに不快感を与える。そうして、思うのは、背が割れ、蝉が抜け出すその躍動、伸びちぢみと、まるい外見に似たもうひとつのものだ。それがあたえる不快感と、それでも見てしまう好奇心も。
生命のかたちはみな似通っている。こらえがたく不快でありながら、目をそらせないそのことは、わたしが死ぬまで生きていくことと似ている。

羽を乾かし、透明さを振り払った成虫が飛び立ったあとには、あめ色の抜け殻が残る。それはたとえば、爪や髪の毛のようなものなのだろうか。蝉にとっては。わたしには、それは、死骸にしかみえない。匂いもない、重さもない、腐ることもない、からからに渇いた死骸。
一度目の生を脱ぎ去ったあとに蝉は鳴き、そして、夏の終わりにもう一度死ぬ。



散文(批評随筆小説等) 蝉は二度死ぬ Copyright はるな 2011-08-30 19:30:36
notebook Home 戻る