遺骨
岡部淳太郎

焼き終ると
かたちはもうなくなっていた
まだわずかにのこっているだろう
最後の肉を焼こうと
熾火が立ち上がっていて
それはいのちの終りの
かがやきのようにも見えた

  (そして、骨だけがのこり、)

その周りからのぼる
熱く濃密な煙は
呼吸を閉ざされた死者の
あたらしい息のようにも感じられた
その周りで数人の
人々が目を伏せて
熱さにたえていた

  (そして、骨だけがのこり、)

火のいきおいによって
砕かれた もろく
汚れた白さは
のこされた者たちが
その心のもろさのゆえに
のこされたのだということを
しずかに教えていた

  (そして、骨だけがのこり、)

人々はのこされた者であるがゆえに
あつまっては はなれていく
これらの骨をそれぞれの
意識の底の穴にしまいこむまで
あといくつのもろく
汚れた白さに
向き合わねばならないのか


二〇一一年四月十五日、父が肺炎のため亡くなった。
父が右脚切断の手術を受けてから、ちょうど三年後のことであった。




(二〇一一年五月)


自由詩 遺骨 Copyright 岡部淳太郎 2011-05-29 20:06:33縦
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