ブラウン・シュガー・シンドローム
茶殻

スチール缶の中で真っ黒に佇むコーヒーを覗くと
ウッドベースの重低音が聞こえてくる
コーヒーにジャズは似つかわしくないが
ときにそれが恋しく響くことがある
口笛につられてシジュウカラが舞い降りるシーンへの憧れに
暇を見付けては風を仰ぐ無人の屋上、室外機の喧騒
隣のビルから飛び降りるスタントマンは
地面につく前にふっと消える
それを繰り返し見続けて日は暮れる
僕はそこかしこに飛んでいく紙飛行機の遺書を掴もうとして
掴むべきか逡巡する 定義されてはならない厳密な自由
風のない日は サイケな音に乗って飛んでいく あのひとたち


   ラッシュを避けた埼京線はそれでも空席がなく
   かつて おまえ と呼び合っていた女が
   中吊り広告の隅で『今年っぽい』らしいコーディネートを纏い
   歯を見せて笑う姿にさめざめと鳥肌
   右肩下がりの外食産業のギリギリの好意さえ嘲笑うように
    おまえ はドリンクバーに憑依して
   アイスティーに大量のガムシロップを注ぎ
   その おまえ を見る目が慈しみではなく憐れみであると露顕してから
   凡そ天使のような生物のはずだった おまえ の肌はウエハースに変わり果て
   横並びに公道を歩くことも億劫になり 俺はそのモザイクを内へ内へと折り込んだ
   もちろん おまえ の肌や化粧品やまして毛穴のひとつひとつを愛したわけではないが
   実際のところ世の中に「どうだっていい」ことは何一つないのだと学ぶことは
   損ではなかったと思うようにはしている
   (さらに酷いことを考えたこともあるがここでは書かないことにしておく)
   俺はそれ以来雑誌のグラビアを眺めながら
   その娘の口臭をイメージする悪趣味な男になった


はしゃぐことを大いなる是とする都市で僕たちは出会う
万華鏡さながらの極彩色のコーティングはところどころ剥げ
鈍色を晒していることも気に留めずに
あなたは坂を下る柑橘のように細やかにステップを踏み鳴らす
(或いは嵐の船に散らばる酒樽のように)
露なその肩口には
掌で隠れるくらいの何か爬虫類の入れ墨を這わせ
僕の同じ場所でオーストラリアみたいな痣が広がる
くたびれるほどに俗界を往復すると
眠らないあなたは眠るようにそっと睫毛を下ろす
僕は少しためらって
欲情の二歩手前でファスナーを上げる
やんないの? たたねんだもん
プラトニック なんて俗界じゃ流行りえないのだ
濡れないの、という誠実な告白ならば
或いは 初めてなの、という生真面目な嘘なら
その切なさも画になろうものだけれど
(近頃はそんな小説ばかり読んでいる)

   
   閉店間際の赤羽駅構内の牛丼屋に傘はなく
   天国への宿場町があるならこんな風じゃないかと思う
   お待たせいたしました と機械的にやってくるカレーライスに
   お袋の味とかいうありがちな隠し味について味蕾は追憶しない
   適度な間隔を開けて肥えた文明的な猿人が席を埋め
   その中に色気だとか野性味を求めるのは場違いではあるだろうが
   彼らには子供がいて
   その以前には相応の手順が踏まれている
   愛し合ったディテールが
   金庫代わりの電子レンジに仕舞ってあるのなら
   俺には訴えることなど何もない
   (推定無罪だ、誰の菜食主義も俺にまとわりつくことはないのだから)

    
通り過ぎる喫茶店の全ての座席にあなたが腰掛けていて
僕はもう 始めから
許されるか許されないかしか 許されていなかったのだ
(、というダサいレトリック先走るニヒリズムに徹するほかなかったのだ)
夕闇の街はニコラス・ケイジばかり歩いている
団地の中庭で たくさんの子供連れが花火セットを開封して
水道にはミズイロのバケツを持った母親達が並んでいる
明日の朝には戦地の役目を終えた戦地のような姿を晒す
そして許されるのだ 中庭はもうしばらく中庭でいられることを
処女性なんてこれっぽちもないくせに
(ほうら、もう黒猫が隅を横切っている)


   今ごろ おまえ は今年っぽい男に今年っぽく抱かれているのだろう
   おまえ と呼ばれて あなた とか呼び返しながら 喉を鳴らして咥え込んで
   その日 おまえ枯れすぎ と別れを突きつけられたとき
   俺は出涸らしの玄米茶を注ぎながら歯に詰まった米菓を舌で剥がそうとしていて
   冗談か本気か受け止めかねたまま間抜けに頷きするりと「僕」に寝返ったのだ
   求人誌の皿に盛った枝豆をぷちぷちと食い尽くす
   会員証の更新ついでに仁侠映画でも借りてくればよかった
   (用法と用量を守りながら死を摂取する、誤用で死んでしまうことのないように)
   フラッシュバック――祖母に連れられたサーカスは
   どれがピエロなのかもわからない不親切な一団で
   呆けた僕に祖母はただただ派手な下敷きを買い与えた
   『夏休みの思い出』として課された作文に弔ったのは
   それよりも共食いしたザリガニのこと、先の丸まった2Bの鉛筆で――



  。。


 
コーヒーのスチール缶の表面には苔が生える
飲み込まれて溶けることばかりが
生であり死であると結論を求めて
疼きはいつでも不揃いな前歯で甘噛みを怠らない
   プルタブを引くと
   そこは夜になるはずの沖
   キスをしたんだろう、俺はそれと
誓いを立てたのだ、ひとつになるために、
飲み口の崖から今に飛び降りようとして
僕は何に忠義立てているのか気がつく
   夜に与えられた封土
   隙間なく並べられたビルから飛び降りたスタント
   彼は光に溶けたのだと知る


  人差し指と中指のあいだに浮かぶ
  発情を終えた早熟な昼夜の残滓
  ストロー という道具は実際文明的なのかとか考えながら
  僕は渦のなかでひらひらと桜のように舞い落ちるポテトチップスを啜った

  「読みたい詩があるなら自分で書けばいいじゃない」
  そう言ったのは あなた だったか おまえ だったか

  あのウッドベースは
  かすかな胎内の記憶だったのかもしれない

  夜に溶けたがるのは
  現代病だそうだ
  ようやく わかったそうだ



自由詩 ブラウン・シュガー・シンドローム Copyright 茶殻 2011-05-04 23:57:34
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