涙の遺言 ー野村英夫への手紙ー 
服部 剛

黄昏の陽は降りそそぎ 
無数の葉群が煌々きらきら踊る 
避暑地の村で 
透きとほった風は吹き抜け 

木々の囁く歌に囲まれ  
立ち尽くす彼は 
いつも、夢に視ていた 

哀しみに潤んだ瞳の少女と肩を並べて坐り 
草原の歌に耳を澄ます、一枚の風景画を・・・ 

彼の夢は、叶わなかった 
友の見舞った病室で 
彼の痩せこけた頬に流れた 
ひとすじの、涙 

(もっと生きたい・・・) 

羊の面影を遺して彼は 
夜の牧場の出口から 
永遠とわに旅立っていった 

  * 

七十年後 
この詩を書いている僕の前に 
在りし日の彼が書いた 
一冊の古びた本が 
机の上に、置いてある 

ある日、古本屋街を巡り 
お目当ての本が無くて 
俯いた顔を上げると 
本棚の頂に積まれた 
「野村英夫詩集」と、目が合った 

梯子の上から古本屋の親父が 
足元で両手を伸ばす僕に  
手渡した、天国からの贈りもの 

その古びた本の中で彼は 
誰もいない夜の教会で独り 
祭壇の前にひざまずき  
震える両手を、合わせる  

草原をゆく少女の歌声ハミング   
異国から来た神父の寂しい背中  
故郷の父母のまなざし 

かけがえのない人々の面影を映して 
暗闇に浮かんで消える 
いくつものしゃぼん達 

  * 

在りし日の彼のように 
夜の無人の教会に独り 
祭壇の前で跪き 
一心に両手を合わせ、瞳を閉じる 

暗闇に浮かぶ 
一つのしゃぼんに映る 
最期の病室 

ふっと、消えたしゃぼんを仰ぐ
私の頬に 
遠い闇の彼方から
あの日の涙が一滴、落ちて来る 








自由詩 涙の遺言 ー野村英夫への手紙ー  Copyright 服部 剛 2011-02-11 20:12:11縦
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