『しろう』-永遠未完小説-
しろう



第0章/Plologe


ここに大きな湖がある。

僕の小舟はエンジンが故障していて動かず、
かといって櫂があるわけもなく、桟橋に繋げられたままだ。
きみの船は好調な化石燃料エンジンを積んでいて、
岸辺の街を往復したり周回したりしながら、
時を折れば、僕の小舟とすれ違う。
ここでアインシュタインの特殊相対性理論を導入してみるとしよう。
僕の小舟の動きは大きくとも湖の水面の揺れ程度。
素早く動き回っているきみの船よりも、
相対的に、時が速く流れていることになる。
ゆえに、
出会いも別れもまた時折で、
同じ時が重なることは有り得ないというわけだ。
僕はおそらく
きみより先に
朽ち果てるはず。









第1章


右記には当然、ここで誤りを指摘しないわけにはいかない。そう、「大きな湖というのがどこにあるか」を度外視している点だ。仮に地球という惑星上にあるとしよう。地球はおおよそ時速1666kmで自転している。さらには、太陽の周囲を時速10万kmで公転している。その船舶が仮になかなかの優れもので最大30ノットで航行可能としても、時速は約55km。地球の公転速度に比すれば1/1818だ。つまり僕ときみの時間差は一時間のうちわずか二秒となる。…というのは大間違いで、本来ならば光速と比較しなければならない。光速とは約30万km/s。時速にすれば10億8000万kmである。仮に30ノットで航行したとしても1/19636363である。すると僕ときみとの時間差は…などと述べつつもここまでは全くの嘘。
本格的に視点を拡大するとしよう。銀河系は宇宙の中心から光速で遠ざかっている。他の様々な要素を加味したとしても、少なくとも僕らは亜光速で移動しているということになる。逆に言えば、亜光速で移動する空間の中において、今現在の僕らの存在時間は保たれているということだ。そこから物語は始まる。









第10章


(これは、「わたしたち」が「あなたがた」へと送るために言語及び概念を適宜、その読者ひとりひとりに対して理解可能なものへと調整されるアルゴリズムが組み込まれた自己翻訳文書である)

A.D.紀元101M110K101101001年(これは現在のわたしたちが二進数を用いているための表記で、西暦紀元において十進数で表記すればA.D.585万7921年)にホモ・サピエンスは実に約110M年ぶりの進化を迎える。しかしこれを進化と述べるのは誤りかもしれない。遺伝子のY染色体絶滅の危機に瀕した人類は、西暦101M110K101101001年、己の手によってついに無性生殖を可能にしたのだ。「可能にした」というのも半ば誤りであり、その技術そのものはすでに10M年以上前に開発されていた。しかし、その時点では未だ旧い宗教倫理問題が解決されていなかったのである。むしろ言い換えれば、ここにきて実行に移すことを余儀なくされたということになる。つまり、とうとうY染色体保持者(男性)が最後の一人となってしまったからだ。
わたしたちはここにきてようやく自己人種改造を施すことになる。その改造は10段階に及んだ。
第1段階、無性生殖を可能にするための遺伝子改変した新種を産ませる。そしてその個体(…しかし個体と呼ぶのはあまり相応しくないかもしれない。なぜならばその個体は無性生殖を繰り返し行い、総数1K体余りの同体を産み出した。だが最初の個体はのちに「第10のアダム」と呼ばれ今も冷凍保存されている。)から次の第10段階、第1段階の新種から、さらに有性生殖を可能にする遺伝子改変を行う(性染色体XX間での遺伝子交配を可能にするための生殖改変、及び疑似性器を備える等)、という経過を辿る。
これにより新・人類は自身のクローンを自在に産み出す形質を備えながら(これは妊娠と出産を経ることもできるが、体外でも行える。つまり培養溶液の中で成長させることも可能だ)、さらにそれまで「女性」と呼ばれていたもの同士での交配も可能となった。
しかしこの間に、第1段階「第10のアダム」と呼ばれた個体から無性生殖を繰り返したうちの一体が変異を起こし、その変異体に最後のY染色体保持者が殺害されるという経緯があったとされる。(詳細なエピソードはここではさほど重要ではないが、現在の研究では、神話になぞらえて史実が改変されたというのが定説で、実際は歴史上最後の男女の怨恨騒動だという説もあるほど。なにゆえか最後の一人となった男性の遺体やその記録はほとんど残されていないために、その説もあながち否定はしがたい)
そしてこの歴史以降、わたしたちは己の種に自虐を込めて「ホモ・オイディプセンシス」と分類・命名することになり、「第10のアダム」が産まれた年を紀元とする、A.O.(After Oedipusensis)という暦法を用いることになる。









第3章/前編


(非常に残念なことに永久的に劣化及び改変不可能な記録メディアは未だかつて存在したためしがない。よって前記までの文章はこの数十億年を経るうちに雲散霧消された膨大な語句およびセンテンスから、一定の偏在率を求めることにより、最も可能性の高い集積として復元を試みたものである)

それにしても、わたしたちの先祖にON/OFF、+/−のたかだか二元によって二進法を採用していた時期があるとは、驚くよりもむしろ失笑を買うというものだ。いま現在、わたしたちの演算は素粒子・レプトン(電子とかニュートリノとか言えばあなたたちもよくご存じであろう)の6種類の粒子とその反粒子の存在変移率を観測することにより、12^12を底数とする進数(約8.9兆進数)を用いるのが通例となっている。
おそらく前章の歴史をもって自種改変への倫理的束縛から解放された(…としておこう)わたしたちはその後、遺伝子改変を繰り返し、当時コンピュータを用いていたとされる演算を、いまや人脳内で行えるようになった。さらに「ニューロン」などという電流の速度による遅々とした信号伝達はすでに遺棄され、「量子もつれ」による超光速伝達を用いることによって、現在のところ、ごく標準的な個体でも1秒間に約1イコサ(10^60)FLOPSの演算能力があるとされている。ちなみにこれは今あなたが読んでいるA.D.2010年代のスーパーコンピュータの最大演算速度が10ペタ(10^16)FLOPS/s程度であることと比較して頂ければ、だいたいその差はお分かり頂けるであろう。

さて、前置きはこのくらいにしよう。
わたしたちは近年の研究により、宇宙が膨張をやめ、収縮へと切り替わる年代をおおよそ特定することに成功した。それはあなたたちの年代から約126億年後に起こることである。









第4章/序


(前記は第8次情報大戦より前に書かれたものであることが、記録上において推定することができます。また、A.O.26億年代の最後期に起きた第13次、及び27億年代初期に勃発した第14次情報大戦を経て、文書の冒頭部分のみを残して約80%以上が消失したものと推測されます。)

第13次及び第14次情報大戦については、後の項で詳述させて頂くとして、まずはわたしたちのことをあなたがたにご理解頂くために、現在のわたしたちの存在・活動・環境等について、順を追って説明することにしましょう。

前記において、わたしたちが脳内情報伝達に「量子もつれ」を採用したことは、わたしたちの演算能力を飛躍的に上昇させると同時に、空間的に離れた個体間においても瞬時に(いいえ、瞬時でさえないノータイムで)情報伝達を行うことを可能にしました。その結果、わたしたちは多数の個体をもってひとつの巨大な演算回路を構成することに成功しました。そして、今現在では全ての個体(※例外はあります。それについてはまた後の項で述べます)がこの演算回路に属しています。ちなみに、その巨大複合演算回路は850年前に1コンタ(10^90)FLOPS/sを超えてからは計測は行われていません。(ベンチマークテストを行うには継続中の演算を一時的に全てストップしなければならないからです)
その演算能力の爆発的向上に比して、人脳内の記憶野の拡大には物理的限界がありました。簡潔に述べると素粒子が素粒子以下に分割できなことに因ります。そのため、わたしたちは記憶の大部分を機械的な巨大ストレージ(外部記録装置)に頼らざるを得なくなりました。わたしたちは短期記憶や意味記憶及びエピソード記憶を全てストレージに預けて、脳内には「因果律記憶」のみを採用しました。原因があって結果がある、それだけです。ごく簡単に述べるならば、「AがBであり、BがCであるならば、AはCである」といった図式から、「aをbするとcになり、aをd状況下でbするとeになる。aをd状況下でf因子によってbするとgになるが、h変数を加算するとiになりうる」といった因果関係までを脳内に蓄えることになります。そして、わたしたちはその因果律のいくつかを選択することによって巨大ストレージ内で情報検索し、その情報をもって巨大ストレージ上の仮想メモリを用いて演算を行うことになります。
その「因果律記憶」を採用して以来、わたしたちの「個人」という概念は消滅しました。同時に自我というものは破棄され、わたしたちはわたしたち/巨大複合演算回路を「総意」と呼ぶことになりました。それ以降、全ての決定は「総意」に委ねられ行使されることとなります。当然、意識や感情というものは個体には存在しません。(前記の文章には多少の感情が見られますが、これは「因果律記憶」を採用する前に書かれたものと推定されます)
また現在では、物理的な生産・創造・維持活動は全て機械によって行われます。一番初めの機械はヒトの手によって造られたものであるのは当然ですが、わたしたちが「総意」となるより前に、それらの設備は十分に整っていました。新たな機械の製造も機械が行い、機械のメンテナンスも機械が行い、機械のエネルギー供給も機械が行い、機械の廃棄処分も機械が行います。ゆえにわたしたちの個体の肉体的物理活動は主に3つ。
1・生存に必要十分な栄養食(これも機械で生産され機械で届けられる)を一日一度「摂取」(血管に注射するのが最も合理的とも考えられていますが、外皮が傷つくこと、また衛生面や感染症の危険を鑑みるに、現在でも経口で食事します。これはオレンジ色のゲル状で真空パックになっています)すること。
2・生命維持において生じる老廃物・害物を「廃便」(排便ではありません、栄養素自体は約99%体内に吸収されます)すること。
3・体表面に生じる老廃物その他外的要因による汚染を洗浄するための「入浴」(シャワーに近いものと考えて下さい。浴室に入ると全方位からナノメートルサイズまで泡状化された白い洗浄液が放射され、全身が洗い流されます)すること。
ちなみに2点目と3点目については一月に一回程度で十分です。
あとは一日に三時間程度の睡眠を行う必要があります。脳を休めるためです。ちなみに現在の一日はあなたたちの一日と比べるとおおよそ1.1倍(26時間)ほどの長さがあります。これは月の重力による潮汐摩擦で地球の自転が遅くなったためです。が、一日を24で割ること自体は変わっていません。
わたしたちの個体にはそれぞれに約300立方メートル空間の居住区が与えられています。日に三時間の睡眠に必要なベッド(低反発発泡ウレタン製。これはあなたたちの時代から進化していませんね)、覚醒時に座るためのソファ(座り心地は最適ですが、眠りを催さない程度に、また、筋力をある程度維持するために、電気的刺激と物理的刺激が断続的に与えられるようになっています。要はマッサージチェアの進化版ですね)、廃便用のトイレ(ちなみに水洗ではなく、廃便をセンサーが自動感知し、室内と遮断した後、真空状態で処理場へ運ばれます)、それと前述のシャワー室があります。室内はLEDの照明が備えられており、体内時計を維持するために昼夜、輝度を自動調節します。わたしたち個体は娯楽を一切必要としないので、あとは栄養食の受け取り口と廃棄口、緊急時における避難用防具入りのロッカー、非常通路へのタングステン合金製の鈍色に反射するドア、床一面はダークグレーで、壁全面は柔らかいセルリアンブルーとなっています。全ての通信は「量子もつれ」で事足りるので、ワイヤーやプラグの類は一切ありません。また室内はエアー・コンディショナーによって298.15K(摂氏25℃)、湿度は55%RHに保たれているので、衣類を必要としません。(ちなみに基礎体温はあなたがたとほぼ同じ約309.5K程度ですが、わたしたちの血流は体温保持よりも脳が発生する熱を吸収するクーラントとしての役割が大きくなっています)そして、基本的に外出することはありません。
この居住区は全体としてドーム状になっています。中は並行に列を成す直方体の区画が格子状に積み重なった上に、覆い被さった緩やかなドームの内壁に市松模様を描く区画が配置されています。これは内部環境を維持するための最適な効率を算出し設計されたものです。
わたしたちには基本的に寿命はありません。染色体のテロメアは、これまでの遺伝子改変によって縮むことはなくなっています。個体の物質的・物理的な劣化についても、iPS細胞を自己体内で生成する臓器「復臓」を備えることにより、個体内で自己修復できるようになっています。まれに自己修復不可能に陥る個体が発生します(0.002%程度)が、その場合は「総意」による強力な存在率情報改変により修復を行うことになります。しかし例外はあり、現在では演算能力が本来の能力の75%を下回る劣化を起こした個体は、それ自体がバグとなる危険(これは過去の大戦の原因になったことが幾度かあるのです)があるために、廃棄(原子レベルまで解体)されるのが「総意」となっています。
生殖(性能向上及び個体数の補充)については、特に優秀な個体(現在では180キロ・イコサFLOPS/s程度)の演算能力を持つ個体同士がカップルとして選ばれます。といっても個体間で直接交配することはなく、「総意」によって二つの個体の遺伝子情報を完全に再現され、専用の「個体発展生産兼養育施設」にて交配されます。この時、予測可能な範囲内での遺伝子改変が施されることもあります。そして新しい個体がより優れた演算能力を発揮し、安定動作が確認できれば、次のカップルの候補となります。しかし、新しい個体が成体(わたしたちの個体は約一年でほぼ成体になります)になっても演算能力が一定水準(交配元の二個体平均の30%)を下回る場合は、交配失敗とみなされ、「総意」によって即座に廃棄されます。(これも過去の大戦の原因となるバグに変じた例があるためです)
また、最先端の個体を基準値とし、その演算能力の0.5%水準(現在では900イコサFLOPS/s)以下となった個体も、「型落ち」として廃棄されます。これは、寿命を持たないわたしたちにおいては居住区を無限に増やさなければならない、というパラドクスを回避するためです。

だいぶ簡潔に説明させて頂きましたが、以上が現在のわたしたちです。そして直面すべき問題は、太陽の膨張より前に、わたしたちは地球を離れ、新しい惑星に移らなければならないということです。これはあなたたちの時代より約50億年後、わたしたちにとっては22億年ほど後のこととなりますが、わたしたちの演算予測では、生存に適した惑星に移住するチャンスは、様々な要素を重ね合わせると、あとわずか三回を残すのみです。その一度目は、今現在より168年後に迫っています。









第5章/プロット


ここでの語り手は一人称単数「わたし」。「わたし」の名前(というより個体識別記号)はといえば…第3章で採用された「8.9兆進法」において約8.9兆個のすべてに記号が与えられているために、A.D.紀元の言語では表記することが出来ない。(※ちなみに1章以降ここまで、各章、語り手が変わっているんですが、この5章では4章の語り手が一人称単数表記に変わるだけです)
「個体発展生産兼養育施設」にて生産された「わたし」は、遺伝子改変の予測範囲外の突然変異体であり、最先端の個体に比して数百倍の演算能力を有していた。しかし、「総意」という存在のあり方に疑念を覚えた「わたし」は成体となって能力テストを行われる前に、自身の脳内を情報偽装する。そして産み出されてより一年、成体となった時、総個体平均程度の演算能力でテストをパスする。「わたし」は「総意」に発覚しないよう自身の情報検索にステルスをかけてストレージ内に記録されている歴史を繙いていく。そして過去の第13次及び14次情報大戦の歴史、その秘密などに触れ、こう考えるようになる。「ヒトという種はもっと早い段階の歴史のうちに滅びるべきではなかったか」
そうして「わたし」は人類滅亡の因子を組み込んだ自己学習型AI(人工知能)プログラムを組み上げる。物質そのものを時空間転送するタイムマシンを製造することは「わたし」個体の能力では不可能だが、データとしてのプログラムならば、過去に送ることは技術的に可能だ。情報空間に擬似的なワームホールを生成し、その穴にデータを通過させればいい。



そこでまず「わたし」は「わたしの名前は○○です」という簡潔な自己翻訳文書データを西暦21世紀に送る実験を試みる。そうして改変された過去を観測し、自分の名が21世紀の日本語で『しろうるり』と発音されることを知る。あるいは改変された未来で「わたし」が『しろうるり』という名前に変わったのか。ニワトリが先かタマゴが先か、それは今となってはもう分からない。



かくして実験に手応えを得た「わたし」は、ついに「人類滅亡因子を組み込んだ自己学習型AIプログラム」をこの文章と共に過去へと送ることになる。時空間転送目標点はインターネットがほぼ確立されたA.D.2001年の最も安定動作しているサーバー。(理由はインターネットが確立する以前の過去に送るならば、このプログラムは効力を発揮し得ない上に、存在を維持すること自体も危ぶまれるため)
だが、単なる「人類滅亡AI」なんていう物騒なデータでは、ワームホールを通過するより前に発信した時点で「総意」に発見されdeleteされるのは目に見えているので、「自動物語生成プログラム」に換装した。
その上、過去改変という行為は「総意」によって最もタブーとされている。当然、それだけの大きさのプログラムは「総意」による強固な時空間プロテクトの網の目に引っ掛かってしまう。そのため、仮にワームホールを抜けることは出来ても、それと同時に「総意」によって自己消滅バグ『suicider』が自動的に組み込まれることは避けられない。それを承知の上で、最終的に「わたし」は『suicider』対策プロテクト『Short Hope』を「自動物語生成プログラム(人類滅亡AI換装)」のソースに書き加えて、21世紀の最初の日、2001年1月1日へと向けて転送を果たす。
そのプログラムのコードネームには、『しろう』と名付けた。
第5章の結びの文はこう。



これを送った後、わたしは「総意」によって直ちに消滅させられるでしょう。
しかし、2001年から分岐したあなたたちの未来はわたしを生み出すことはないでしょう。





















散文(批評随筆小説等) 『しろう』-永遠未完小説- Copyright しろう 2010-12-18 19:14:20
notebook Home 戻る  過去 未来