瞬間
岡部淳太郎
俺は始発駅の長いホームに立って、列車を待
っていた。それがその日の最終で、もう後は
ないのだった。それを逃がすと、もう帰れな
くなるのだった。始まりの場で最終を待つ。
その不思議にうたれて、俺は人の列の中で次
第に居心地が悪くなっていった。瞬間、俺は
時間の裂け目に落ちこみ、いまいる場所がど
こなのか、いまの自分が何者なのか、わから
なくなっていた。だが、それは本当に瞬間だ
けの感覚で、その次にはもう、駅のざわめき
の中にいる自らを見出していた。それにして
も、あの瞬間は何だろうか。俺は滑りこんで
くる列車に身を投げる自分を想像した。瞬間
ではあっても、俺はそんな恐怖を創造しよう
としていた。あの瞬間、あれは俺をこの世の
ことわりとは無縁のところへ誘いこもうとす
る、何者かからのしるしだったのか。あの瞬
間、俺は誰も知らないもうひとつの宇宙にた
ったひとりで放り出され、そこに取り残され
ていたのか。俺は始発駅の長いホームに立っ
て、列車を待っていた。駅の外は夜の闇で、
その暗さの法則に支配された場所だった。家
路を急がなければ。早く帰らないと、またあ
れにつかまってしまうように思えた。それが
その日の最終で、もう後はないのだった。そ
れを逃がすと、もう帰れなくなるのだった。
(二〇一〇年九月)
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散文詩