無言の読者が口を挟みます
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例えばmixiで、マイミクの多い人が「私はこれについてこう思うー」とか日記で書いたとして、それに対して肯定的なコメントや、賛同の声とかがたくさんついたとする。でその日記に対して、そんなにマイミク数の多くないある人が「上っ面だけの、人気取りのためのひどい意見」と、論理的にコメントしたとする。それに対して、肯定的なコメントを付けていた人たちが「ひがんでんじゃねーよ」と返す。それ自身はありそうなことだけど、あまりmixiでそういう光景を見ない。大体は「人気取り」とか思ってても直接言わない。それを言って受け入れられるところで言う。2chとか。

さて、何が言いたいのかもうわかってる人もいるかもしれませんが、緑川ぴのさんの「本当のかなしみを知るひと」という詩(?)に対して、AtoZさんが「緑川さん、みなさん、詩のことばを冒涜するのはいい加減にしませんか?」などで応酬している流れに、こういう構図と似たものが見えた。

個人的にはAtoZさんの文は楽しみにしているし、それこそトップ10にあがってくる詩より面白いと思っている。前からいっているとおり、ああいう意見表明か日記みたいな詩には特に興味がないので(できればよそでやってほしい)、それに対して辛辣な批評をしているAtoZさんのほうが面白い。考え方に近い部分もあるし。

といってもAtoZさんは非常に不器用な人に見える。緑川さんの作品について腹が立ち、それをどうしようもないから散文で、強い表現で直にぶつける、というのは、敵も多くできそうだし、それこそ2chで書いたほうが同意してもらえることも多そうだ。でもそれをしない。不器用にも見えるけど、真剣に持論を通す姿勢は潔くて好感が持てる。それがコミュニティに受け入れられなかろうと。


おれもたまに忘れるけど、ここはmixiと同じSNSだ。詩人が作品を通じて交流する、それが目的の一つになっている。ただしmixiと違ってマイミク制度がない。自分の好きな詩人の作品だけ眺めるということは基本的には出来ない。トップ10とかmixiにあったら、とんでもなくつまらないけどコメントだけはいっぱいついた日記がランクインするだろう。

さてmixiと違って、現代詩フォーラムでは作品が全部公開されているので、当然自分とは全く違った価値観で詩を読み書きしている人の作品がある。それもたくさん、むしろ自分に似た価値観で読み書きしている人を探すほうが面倒だ。そうなると、そのSNSに参加している人の価値観のうち、一番多数派の価値観が目立つ。探す手助けになるトップ10も、その価値観の人たちの作品で埋まっているのが常態と化す。そうなると、その価値観に合わない人は、反発して去るか、相手せずに自分のペースで作品をつくるか、主にそういう態度をとる。しかしその多数派の価値観に合う人は、その輪に加わっていく。そうして最も多数派の価値観が増幅され、それ以外の価値観は狭い思いをする。

AtoZさんがもっている「詩」に対する、そして「人間」に対する価値観は、現代詩フォーラムの多数派の価値観と相容れない性質を持っている。AtoZさんの持論は間違ってないと思うし、緑川さんの作品に対する批評も、もっともだと思える(個人的には)。でもそれが「僻み」ととられてしまう。それは単純に、緑川さんの価値観に合致する人が多く、AtoZさんの価値観に合致する人が少ないところでそれを言うからだ。早い話「KY」なんだと思う。器用な人は、2chで同じようなことを言う。そういう人に対する風当たりは、AtoZさんよりは強くない。そこをAtoZさんは、あえて風上の一番きついところで言う。だから非常に風当たりも強い。そう見える。

現代詩フォーラムにマイミク制度がないので、多くの人は「この人とこの人は自分に近い、感動できる」という人と「こんなん詩でもなんでもない」という人を、目でフィルタリングしている。芸術としての現代詩を追求する人や、自分の思ったこと感じたことをほぼそのまま形にした詩を書く人、言語的な試みを極める人、コミュニケーションの手段と割り切る人、いろいろだ。それで、自分と違う書き方で詩を書いている人に、「そんな書き方があるか、そんなもん詩じゃない」といったってあまり意味がない。目指すところが違うから。だからあんまり言われない。でもAtoZさんは言う。

このサイトの名前に、下手に「現代詩」なんて冠してるのもいかんのでしょう。「みんなで好きなように詩を書くフォーラム」とかにしないと、いろいろ誤解を招きそうだ。自分の作品を「現代詩」と自負している人ほど、「あんな詩が現代詩として評価されるのはおかしい」と思うことも多いだろう。そういう意味では、文学極道の方が目指すところがハッキリしてると思う。その目指しているところが魅力的かどうかはさておき。

そりゃ緑川さんの作品を「現代詩」の代表みたいに扱われたら、「一緒にすんな」「現代詩を何やと思ってるんや」とか思うのは自然ですね。おれだってそう思いますよ。でもおれは、緑川さんがおれと全く違うところを向いている事がわかっているつもりなので、出来がどうとか言うつもりはないです。でも同じ名前でくくっては欲しくない。それだけです。別に「下手に批判して、自分の詩にポイント入らなくなるのではと考えると、正直怖い。」とか、おれは別に思わないので(そんなことでポイントをいれなくなる人は、そもそもおれの作品なんて見てないでしょう)、好き放題言わせて頂きました。長くなって申し訳ないです。


散文(批評随筆小説等) 無言の読者が口を挟みます Copyright KETIPA 2010-08-03 00:13:23
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