自殺志願
攝津正
二千十年三月十一日執筆開始
死にたいと思った。生きたくても生きられない人もたくさんいるのに、贅沢だと思ったが、そう感じてしまうのはやむを得なかった。何一つ、明るい見通しはなかった。これまで一年半続けてきた倉庫の仕事は辞めざるを得ないだろうし、といって自営も難しいだろうし、八方塞がりでどうしようもない印象だ。だからといって今すぐ、死ぬ度胸もなかった。死ねないから生きている、消極的生存者だ。そんなのでいいのか、と自問自答するが答えは出ない。
倉庫の仕事で知り合った仲間の顔を一人一人思い浮かべた。懐かしいと思った。二度と会えないのかと思うと寂しかった。だが、仕方がないとも思った。倉庫の仕事は外気、他者と触れる場でもあった。社会との接触でもあった。倉庫の仕事を辞めると、現実の場で他者と接触する社会性の機会はなくなる、と予測した。だが、どうにもならなかった。
私は、創造をすると言いながら、ろくなことができなかった。これも小説と自称してもブログの延長でしかないのを自覚しているし、ピアノ演奏も中途半端だし、三味線もやめてしまった。料理も作れなければ、コーヒーも入れられない。無能の人である。駄目な人である。というふうに、幾ら自虐しても仕方ないのだと思ったが、私はそうすることをやめられなかった。それが私のビョーキと言っても良かった。自虐は自己愛の裏返しである。理想化された自分、そうであれぬが故に自虐するのだ。そういう心理はよく自覚していた。だが自虐をやめることはできなかった。ふけを掻きむしり頭皮を傷だらけかさぶただらけにするのをやめられないように、自虐をやめられなかった。それが私、攝津正、ということだ。
生きるのは本当に辛く厭わしかった。本を借りてきても数行も読めない。できるのは音楽を聴くこととインターネットくらいで、それも中途半端。私はそんな自分が嫌いである。といって、自分を積極的に変革、進歩させようとも思わない。改善しようと思わない。それが原因で幾人かと絶交もした。私の向上心のなさが他者を嫌がらせたのである。或る人は惰民の友達などいらないと言ったが、私は心底惰民なのだから、では関係を絶つよりほかないのは自明だった。
希死念慮、自殺願望をネットに載せると、一緒に死なないか、心中しないかという誘いが見知らぬ人からくるのがうっとうしかった。Qの松原さんに茨城県民といったハンドルネームの人が私のブログにコメントして、実に軽い調子で、一緒に死にませんかと誘ってきた。しかし私は、そのたびに断っている。仮に死ぬとしても、一人で死ぬ。心中はしない。そう決めている。それに、死なないと思う。少なくとも両親が生きている間は。そして両親は長生きするだろう。もしかしたら、私より長く生きるかもしれない。或る知人は、私のような不健康な生活をしていたら十年も生きられない、と言った。そうかもしれない。それでいいと思った。消極的自殺である。積極的自殺よりましだと思った。
とまれ、陰鬱な話題である。暗い話がうだうだだらだら続く。そういうのが嫌な人は、読み飛ばしてくださって構わない。私は、当面、これを続ける。
mixiボイスで「死んではいけない」のか?と呟いたら、いずれ誰しもが寿命で逝くのだからいけなくはないでしょう、との応答があった。確かにそうだ。私は、寿命が来るのを待っている、消極的自殺(志願)者だ。不健康な生活を続けて、寿命を縮めている。脂ものばかり食べて。ぶくぶくと醜く太って。
生存は義務なのか。生きなければならない、のか。誰かがそう定めたのか。私は、神を否定する。神なり支配者から生かされているが故に、生きなければならない、という理屈を認めない。だから、生きる理由なり意味があるとすれば、それは自分なり顔の見える具体的な他人なりのためでなければならない。言い換えれば世俗的でなければならない。そう思う。例えば私は、年老いた両親が生きているから、死ねない。両親は私の唯一の生きる理由である。私には、両親が、いとおしい。だから私は生きている。だが、いずれ両親も死ぬだろう。そうすれば私には、生きる理由はなくなる。生存というこの不快な義務からも解放される! 遂に「あのこと」を実行できる日が来るのだ! 私はそれを待ち焦がれる。だが、両親の死を願うという意味ではない。彼らには長生きして欲しい、幸福でいて欲しいと思う。だが彼らが幸福であるためには、子供である私が健やかでなければならないが、私は健やかではない。不健康で病気である。精神病であり、メタボリックである。しかし、それは致し方がないことだ。私の責任ではない。病気なのは自分の責任ではない。それは必然であり、運命だ。病気が治らぬのも、病い故に死を思い死なねばならないのも、運命なのだ。私はそう認識している。
スピノザが、首を縊って死ぬのが本性であるような人がいたら、その人は首を縊って死ぬのが善なのだと書いている。その通りだと思う。死ぬべき人は死ぬべきなのだ。死ぬべき人や死にたい人を無理やり生かすべきではない。だから、安楽死を合法化すべきだと思う。苦痛なく人に迷惑を掛けずに逝く方法を国民に保障すべきだと思う。それが人権ですらあると思う。最後の、究極的な人権。再生産の権利ではなく、端的な死滅の権利。それを求める必要があると思うが、死ぬ権利の要求は社会運動にはならない。社会運動は生きるべき人、生きたい人が担っているからだ。そうではない人は運動はできない。運動からも疎外されるよりほかない。何故なら運動とは社会を変革すべきものであり、変革された社会に生きたい人が担うべきものであるからだ。端的に死にたい人はそれに主体的に参加する権利がない。
両親は私が小説を書いているというと、それだけで喜んでいる。内容を訊ねもしないで。私がこのようなものを書いていると知って、なお喜んでくれるだろうか。『労働』『生きる』『シコシコ』はプリントアウトしたものを前田さんに郵送してもらって両親にも渡してあるが、本連載『自殺志願』は明らかにベクトルが逆である。あからさまに死のほうを向いている。死にたい、と言えばまた、入院させるだのと喚くのだろうか。きっとそうだろう。両親は、私が死にたいと言うと、医者でないので自分らにはどうにもできない、入院してくれ、と言う。それは正しいだろうが、しかし、入院する金もないのもお互いに暗黙にわかっているので、虚しい問答である。われわれの親子関係は病理的なのだ。私の希死念慮はそこから来ていると認識しているが、私は、もう、両親から独立、自立する気は毛頭ない。両親と共に生き、両親が死ねば私も死のうと思っている。本気でそう思っている。
両親は、小説というだけで内容を確かめもせずに高尚なものだと思い込んでいる。内容は同性愛や自殺など両親が好ましいと思わないであろうものかもしれないのに。そのことを思うと、一切が茶番だと思い、馬鹿らしくもなるが、しかし、好きなことをしろ、文学をやれ、という両親の命令を真剣に、真面目に受け取り、死ぬまで死ぬ気で書き続けようと決意している。たとえそれが、文学的には価値のない下らぬ屑だったとしても、それはそれで構わない。屑でもゴミでもなんでもいいのだ。もう他者からの評価をあてにするのには厭いた。
『労働』『生きる』『シコシコ』は危機とそこからの脱出、凡庸な日常への復帰、「生きる」ことの引き受け・肯定・承認がテーマだった。だが、『倉庫内労働者の憂鬱』の破綻は、結局凡庸な日常には回帰できなかったということの証しであり、本連載『自殺志願』はそこから出発する。
ところで、タニケンから描写がないとの指摘があった。実は倉数さんからも、描写をすべきとアドバイスされている。だが、私には描写ができない。真実ではないことは書けないというような倫理的問題(前田さんがそう推測したような)ではなく、技術的に無理なのである。物を言葉で描写するということが、私には基本的にできない。そのような技術を持っていない。だから、私の書くものからは描写が抜け落ちている。そのようなものを「小説」と呼ぶべきかどうかも勿論疑問である。前田さんが言うような、カキカキとしてとりあえずそれはある、と言うべきかもしれない。
それはともかくとして、私は、今すぐ死ぬというわけではない。いつか死ぬというだけだ。当たり前だ、人間なのだから。私は自分の労働生活と療養生活における希望のなさを語り、生きられないことを静かに語る。叫ぶのではなく低い声で呟く。「生きられない」、これが私のテーマである。私は、NAMで、「絶望の教室」と呼ばれていた。十年経って、今もそうである、と思う。私は、自分自身について、透徹した認識を持っている。それは絶望的なものである。三十五歳パートタイマー、できることがない、という題名の文章にもそれを書いた。いまや労働も不能になっているから、パートタイマーですらなく、ニート、精神病者でしかない。無為無能の人でしかない。無為無能の日々は私にとって、苦痛である。しかし、そこから抜け出す方法がない。日々の生存は、生活は、苦痛である。苦痛を和らげるために音楽を聴く。麻薬に溺れるように音楽を聴く。きっと私は、弱い人間なのだろう。
繰り言になるが、読む力も衰えている。今日エミール・ゾラの『獣人』を数ページ読んだが、それで挫折してしまった。本を読み通す力がない。そういえば、中居正広の金スマで、勝間和代が出ていて、彼女は月に五十冊から百冊本を読み、本代は多い月で十五万円にも上ったという。私も昔は、一日三冊くらい読めていた。だが、今は、ただの一冊も読み通せはしない。絶えずいらいらし、神経質になって、本に集中できないのである。鬱のせいかわからないが、ともかく知的能力が格段に衰え、昔のように戻れないことは確かである。知性が落ちてしまった現状を幾ら憂いても、嘆いても元には戻らないのは承知しているが、しかし、嘆かずにはいられない。
帝国在住の闇のソーシャルワーカー・デス見沢先生に本稿を見せたところ、「スピノザとかどーでもいいんだよな。キミまだかっこつけてるね。このごにおよんで」と言われたが、私は別に格好つけているわけではなく、本音で書いているだけである。また、拙ブログに興味深いコメントが寄せられたが、そこでkawaaiさんが、「しまいには、消費できるものがなくなって、自分自身を消費せざるを得なくなる(オトコを呼んでそれをブログで実況するとか)それが今の状況なんじゃないか、と失礼ながら思いました。」とコメントを寄せてくれたが、失礼では全然なく、非常に公平で正当な分析、批評だと感じた。実にその通りである。私が求めているのは、芥川龍之介が求めた「火花」、神経の火花に近い。他にそれを求め、それが得られぬと、自分自身をネタに発火するよりほかなくなる。そういう構造は確かにあるのだ。それを自覚もしているが、kawaaiさんのコメントはずばりそれを言い当てた。言い当てられた私は、嬉しい気持ちである。
私は、今後どうやって生きているか腹をくくった。倉庫を辞め、芸音音楽アカデミーとCafe LETSに賭けてみる。賭けに敗れたら、それこそ道路工事の人夫でもサンドウィッチマンでもティッシュ配りでも乞食でもやろうじゃないか。今、晴れやかな気分である。死は思わない。(完)