シンスキーの世界、その後
テシノ
もう11月になる。
日本列島ってやつは縦に長く、皆さんの季節の深まりにもタイムラグがおありの事かと思う。
私のいる山間の平地では、秋もそろりと冬へ傾き始めている。若干物悲しい季節だ。
傾き始めた季節はその後駆け足で次の季節へと進む。
だから私も早くこれを書いてしまわなければならない。
今年のバレンタインデーにある男性にチョコレートをあげたら、お返しにとその場でいただいたものがある。
虫だ。水虫でも毛ジラミでもない。ハナムグリなんとかという、外国産カナブンの一種だ。
エメラルドグリーンとオレンジ色の対比が美しい、大変メカチックデザインな奴である。
彼はその虫を飼育・繁殖させていて、その中から一匹、蛹の状態のものをくれた。
飼育方法を尋ねると、外来種なのでとにかく逃がさないでくれ、とだけ言い渡された。
多分それは飼育方法ではないよなぁと思いつつ、私はそれを連れて帰った。
私は生き物が好きだが、毛の生えた生き物しか飼った事がない。
毛の生えた生き物は、飼い主を認識したり名前を覚えたりと、意思疎通がはかれる。
だがそれが虫となると、そういったものが一切ない。
飼うというより、生きる環境を調えているといった感がある。
ものすごく大袈裟な表現をすれば、虫カゴが小さな地球となるのだ。
奴の世界、餌や土や温度や湿度や明るさや風通し、そういったものの全てが私の決断にかかっていた。
森にいれば、奴はそれを神から与えられた範囲で自己選択したのだろう。
メカチックなその虫は、蛹から孵るとひと夏だけを成虫として過ごす。
その間に相手を見つけて生殖し子孫を残すのだ。そして夏の終わりに死んでいく。
「子孫を残す」
生き物最大の目的であるこれが終われば、その個体の役目も終わり。
何とも清々しいわかりやすさのシステムである。
10月に入ってから、私に虫をくれた男性と会う機会があった。
彼の飼っている虫達は、既に成虫の世代が終わり、卵ばかりとなっていた。
生殖と産卵が済むと、成虫達はスカスカになって死んでいくのだという事だった。
スカスカという表現が面白いと思った。夏の湿気が抜けた秋の空気のようだ。
そっちはどうだい?と控えめに質問された。
だが私の虫は、その頃まだギッチギチに生きていた。
むしろ夏の最中よりもエネルギッシュに動いていたのだ。
私も何度か動物を看取った事はあり、死ぬ直前に一瞬だけ元気になる、なんて経験もしている。
生命の最後の輝きなんですかねぇと私は言ったが、恐らくそうでない事はわかっていた。
奴は生き物としての役目を終えていないのだ。
簡単に言えば、生殖の相手を探しているのだ。虫カゴの中で。
長生きしてるなぁ、大事に飼ってくれて有難う、と彼は言ってくれた。
もう11月になる。
かなり動きが鈍くなってきたが、ひょっとしたらこいつは冬籠もりでもする気なんじゃないか、とすら思ってしまう。
だがそれは有り得ないという事もわかっている。
今日かも知れず明日かも知れず、その時私もひと夏の虫カゴ神の役目を終える。
全然関係ないのだが、昆虫は地球上で最大多種の生き物である。
これは何か神から生命へのメッセージなのではないか!?と宗教家から問われた昆虫学者は、こう答えたそうだ。
「はい。神様は間違いなく昆虫好きです」