「波の声をきいて」(4)
月乃助

 夜のシフトのサーバー達と入れ替わりに、Sayoは店を出た。
 週末のダウンタウンは、車の数がぐっと減っていて、それだけでも何かほっとする。ダウンタウンの西側には入り江があって、それに面する辺りは、隣国とのあいだを行き来するフェリーの埠頭と水上飛行機の発着場にもなっていて、煉瓦造りの背の低いショップが立ち並び夏の間は観光客で賑わう。それだから、Sayoは、いつも教会の前の通りを南に歩き、アパートへ向かう。
 人通りのまばらなそれでも道を間違えたような観光客の姿がわずかに、閉店した人気のない靴屋の前を所在投げに歩いていた。
 フィシャーマンズ・ウォーフで魚を買っていこうか。
 部屋の冷蔵庫の中を思い出しては、そんなことを思いながら歩いていた。ウォーフにあるフィッシュ・マーケットはヨット・ハーバーの端にあり、間口二軒ほどの小さな店だったが町でも唯一その日にとれた魚を売ってくれるところだった。Sayoは、時間があればそこをのぞいて、良さそうなものを買って家に帰った。この町に移ってきても味覚や嗜好は変わる事がないようで、肉を食べる気になれない。
 サッカーの練習を終え空腹を訴える娘の、この頃、この町になじんだ様子を思い浮かべながら、旗ざおのようなヨットのマストが林立する入り江のヨットハーバーへ向かって歩いて行った。
 魚を獲ることなど苦もないのに、町の暮らしはSayoに普通の人のように食べ物を店やスーパーマーケットで買わせる。それが、Sayoは今では気に入ってもいた。
 住んでいるアパートの三階にある部屋は、木を植え、野菜を耕す土などありもせず、海の眺めさえもなかった。
 渡された手すりの付いた木の板を下ると、浮いた埠頭に降り立つ。
 そこでは、体が宙を浮く不安定さがずっと付きまとう。
 ウォーフの桟橋にあるフィッシュ・アンド・チップスの店の周りには、日没前の強さを増した夕陽の中で人が食事をしていた。水上のその店は夏の間だけ開き、オイスター・バーガーのおいしい店だった。
 その店の反対側には、ボート・ハウスが数隻係留され、四角い姿をヨット・ハーバーに見せていた。どれも、二階建の寝室も二つほどありそうなもので、Sayoが住んでいたヨットなどとは比べようもなく立派なものだった。
 Sayoは、陸に住むようになってから何かいつも落ち着かない自分がいるのを知っていた。
 また、いつか海のすぐ近くか、海の上での暮らしに戻るのだろと思うのだけれど、それがいつなのかは、やはり今のSayoには分かりようがなかった。海岸線を散歩する時に、波や海の思いに耳を欹てれば、そんな答えがそこにありそうなのに、、Sayoはそれをしないでいた。
 陽にさらされるボート・ハウスは、無防備の城のように白く焼かれ、ただの水の上に浮かぶおんぼろな船、そんなふうに今日は見えた。
 ウォーフには他にも豪華なヨットやクルーザーが何十隻と停泊し、なかには他の町の名前を船尾に付けた、この町へ遊びにやって来ているのが分かるものもあった。その船達の先、コの字型に突き出た浮き埠頭があり、その一番海に面した辺りには、サーモンを釣るトローラーやセーナー、蟹漁や小エビ用の漁船がやはり何艘も仕事を終えて泊まっていた。
「ねえ、そのハリバット、今日の?本当にそうだったら、一パウンドもらおうかな」
 白いエプロンを赤く染め、ヒラメを下ろしていた青いバンダナの娘は手を休め、ショー・ケースの方へ来てSayoの注文にうなづいた。
 ショーケースの中の切り身になった魚は、雑多なうえに、一緒に並べられたりしているのでSayoにも臭いで新鮮さをはかりかねることがあった。そんな時は、売り子の言葉を信じて買ったりするが、食べてみると何日も前にあがった魚なのにがっかりさせられる。血抜きもしていないような魚まであって、食べると不快な後味が消えずにした。だから、ヒラメほどのサイズの魚は大きくなければ一匹丸ごと買うことにしていた。けれども、ハリバットのように、大きなものは二メーターにもなる魚はさすがにそれは無理だった。
(つづく)


散文(批評随筆小説等) 「波の声をきいて」(4) Copyright 月乃助 2009-10-21 05:15:45
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