「波の声をきいて」(1)
月乃助
「アレン、あたしはヴァージンって言ったはず。これはウォッカはいってんじゃないの?客が文句言ってるわ。子供が酔っ払ったって」
Sayoは男に大きな声を張り上げた。店の中は、コンテンポラリーのジャズ・ミュージックがうるさいほどに流れている。
「そう…だっけ。でも、ウォッカなしだったら、トマト・ジュースみたいなもんだろ。誰がそんなもん飲む気になるのかね。まったく、ここをどこだと思っているのやら」
「つべこべ言わずに、早く作り直してよ。子供が遊びに注文したんだから」
「はい、はい、すぐやるから」
流線型のカウンターの向こうで中国系のバーテンダーは、手にした蛇のようにくねったポップ用ノズルのボタンを押すと、グラスに勢いよくコークを注いだ。そして、すぐにSayoの差し出した背の低いグラスを受け取った。店は、土曜の午後ののんびりとしたランチタイムで、それでも、数組のカップルと夏の観光客の家族連れが遅いランチにやってきていた。
アレンが新しいグラスにカクテルを作り直すのを見つめながらSayoは、204のテーブルのチップは期待できそうもないと客の方に目をやった。
Sayoが働いている店は、片側に大きく窓のあるレストランで、ダウンタウンの真ん中にあり、古いホテルの一角にあった。レンガ造りのそのホテルは、隣にあるカソリックの教会同様、百年を超える歴史があり、そんな古さにひかれて物好きな観光客が泊まりに来るが、Sayoにはそれがただの薄汚れた爺さん婆さんのカップルにしか見えずにいる。周りの他の建物はみな、緑のガラス窓の肌を輝かせる背の高い若者の姿を見せている。
レストランは、マネージメントが代わってからは天井から下がる大きなスクリーンのテレビやパーティー用のDJデスクなど内装を新たにしているので、瀟洒なパブ・レストランの体裁があった。それでも、煉瓦の壁にかかった白黒のモンタージュを思わせる女達の絵は、ただ、ターキーだとSayoは思うし、それを掛けて喜んでいるオーナーの趣味を考えると、このレストランがどれほど長く続くかと心配になったりするが、この店はもう四年もこの場所でやっているのだから、それなりに来る客は評価をしているのだろう。
通りに面した南窓の外には夏の陽光があった。
過ぎていく車に反射しそれが店の暗がりに一瞬光の流れる影を作る。
Sayoは、アレンの作り直したブラディー・メリーをトレーに置くと、窓の席でキサディラを皿の半分ほどを食べてしまった、四人家族のテーブルに向かっていった。背に束ねた長い黒髪は、アジアの女のそれでユニフォームに指定されている白いブラウスに映えている。黒いタイト・スカートにサーバー用エプロン、その下の腰のラインは、きれいな丸みを見せて、熟したような女の柔らかさがあった。
窓辺の席ではSayoの娘ほどの子が、確かに顔を赤くして母親の横に座っていた。
Sayoは、大仰に「とんでもないですよね、バーテンダーが間違えたそうで、すみませんでした」そう、誤りながら、グラスを子供の前に置いた。グラスの中のセロリ・スティックは、わずかにしんなりと力ない。
ワインに赤ら顔の父親と女の子よりも少し大きな男の子は笑っているのに、ブロンドのボリュウムを出した髪形、それだけがゴージャスな母親の方は苦い顔でSayoを睨んでいた。Sayoは、それだから、その目を押し返すような完璧な笑顔を作ると、女を見下げてみた。
今ではそんなことは、苦もなくできる。(つづく)