ぜんぶあげるよ
ゆえづ


 お外が嫌いなイエネコは家の中だけがその世界であったために、野良猫たちに比べいのちに触れる機会が極端に少なかった。それだけに異様な繊細さも見せた。家族の靴音をそれぞれ聞き分け、誰かが帰宅するのを何より素早く正確に察知し、帰宅した者を即座に出迎えるのが得意であった。扉の開閉音がすると、瞬く間にしゅるしゅると階段を滑り降り玄関へ躍り出る。そして世界の睨みつけている扉が開かれるたび、私たちは喉をいっぱいふるわせたまっさらないのちに出会うのだ。
 ただ、イエネコはお留守番があまり得意ではなかった。家族の声や影やわずかな生活音、それを見失うと極端に動かなくなる。まだ別のいのち(家族)を認識しながら手探りで生きているイエネコは、別のいのちにイエネコがイエネコであることを教えられ続けなくてはならない。
 イエネコはお留守番の日はしょげてしまう。玩具を敷き詰めた小屋の中から一歩も出ようとせずに。家を長時間空けるとそこには、淋しさや悲しみをどうすることもできないでうずくまっているイエネコがいて、私たちは薄らと気づいてしまう。「感情」に。


 今まさに履かれようとしている部屋着のズボンは、イエネコに引っ掛けられ私を巻き込んで床に投げ出された。私は半裸でいのちへ傾れ込む。イエネコが跳ね上がって、私の顔をファサッとしたものが覆う。それはすぐさま滑り落ち、抱き留める間もなくシャツの胸元にぶらんと垂れ下がる。私にひしとしがみつきながらイエネコははっきりと見た。まんまるい目をぱちくりとさせ、それを。イエネコはちょっとずつイエネコになる。私もちょっとずつ私になる。
 イエネコは私の吐息、私の指使い、私の動作一つ一つを逃さない。いのちの感触は、乗っかった太股の上で不思議なダンスとなる。イエネコのむすんでひらいて、むすんでひらいて、ただひたすらに生を表現する肉球は温もりを探っているようだ。私の肌を掴んだり引っ張ったりしながら、イエネコがイエネコであることを確かめているようだ。

「全部あげるよ」


散文(批評随筆小説等) ぜんぶあげるよ Copyright ゆえづ 2009-10-10 14:40:25
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