「名」馬列伝(10) ナリタハヤブサ
角田寿星
その年の帝王賞は、やや小粒ではあったが、面白いメンバーが揃った。
1番人気の昨年の年度代表馬ダイコウガルダン、2番人気の売出し中だったハシルショウグンが、中央からの3頭を迎え撃つ図式だった。
当時の連勝記録を持っていた上山チャンピオン、スルガスペインにも期待が寄せられていた。
人気がなかったとはいえ、中央の3頭もなかなかの面子だった。
重賞勝ちを含む3連勝中の上り馬、ラシアンゴールド。
昨年5歳になり本格化し、渋い走りを見せるマンジュデンカブト。
そして、彼。
彼らはウィンターS、フェブラリーHと、近走の重賞でともに1〜3着を分けあった。
当時のこの時点で、ダートでいちばんよく走る3頭が出走したことになる。
レースは、2番手に積極策のスルガスペイン、ダイコウガルダンは3、4番手。
中段やや前の好位にラシアンゴールド、そのやや後方にハシルショウグン。
彼は道中、後ろから3頭めだった。
直線に入ってすっと抜けだしたのはスルガスペイン。
そこに満を持して追いはじめたラシアンゴールドが競りかける。
残り1ハロンを切ろうかという時に、大外を強襲してきたのが、彼だった。
信じられないような末脚で差を詰めていく。
内と外、並びかけたところでゴール。なんと史上初の同着。
「中央馬2頭がダート日本一の座に躍り出ました」とアナウンスは告げた。
そう、当時の帝王賞は、ダート日本一の座を賭けて争うにふさわしいレースだった。
生産者は「まず芝向きだと思っていた」と語る。バランスのいい、垢ぬけた馬体。
ただこの馬、蹄がとんでもなく脆くて、良馬場では思ったように走れなかった。
蹄鉄の釘さえまともに打つことができなかった。
芝での良績は蹄に負担のかからない湿った馬場の時に限られた。
そして彼はダート戦線へ駒を進めることになる。
逃げ、先行馬が比較的有利なダート戦で、彼は後方強襲の戦法を貫いた。
とても届かないような位置から、毎回差しこんできた。惚れ惚れするスピードだった。
ダート初戦のウィンターSで当時のダート横綱カリブソングを抑え込む。
帝王賞を含む重賞4勝、レコード勝ちが実に4回。
東京1600mダートのレコードは、なんと斤量60.5kgを背負ってのものである。
このレコードは9年後クロフネに破られるが、その時のクロフネの斤量は57kg。
一概に比較などできないが、隠れた大記録だと思う。
コースレコードから彼の名前が消えた時、言いようのない寂しさが訪れた。
6歳まで中央で走り、新潟へ転厩。そこでもかなりの人気を博したらしい。
そして種牡馬に。産駒は少ないながら、中央で3勝したファルコンシチーなど出した。
さて。余談であるが彼の勝った帝王賞をビデオで観て、少し疑問に感じたことがある。
こんなこと言うのは失礼だが、ラシアンゴールドがやや残ってるような気がするのだ。
観る角度で印象が異なるのは承知のうえだが、どうも彼のほうが体勢は不利っぽい。
と言っても、同着にしてもいいような、数mm程度の差をそう感じたのかもしれない。
あるいは、大井のレース裁定委員もまた、彼の末脚に魅了された一人であったのかもしれない。
ナリタハヤブサ 1987.4.28生 2003.2.27死亡(事故による骨折、安楽死)
41戦9勝 (中央33戦5勝、地方8戦4勝)
帝王賞、ウィンターS連覇(G3)、フェブラリーH(G3)
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