ボリス・グロイス「ユダヤの逆説、ヨーロッパの逆説 —テーオドール・レッシングの『ユダヤ人の自己憎悪』によせて—」(『思想』806、1991)という論文を読んだ。
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http://deutsch.c.u-tokyo.ac.jp/~nakazawa/translation/lessing.htm
この論文はソ連の批評家であるボリス・グロイス(一九四七年生まれ)という人が書き下ろしたもので、ドイツのユダヤ人哲学者テーオドール・レッシング(一八七二〜一九三三年)の著書『ユダヤ人の自己憎悪(Der jüdische elbsthaß)』(一九三〇年刊)の新版(マッテス・ウント・ザイツ社、一九八四年)の序文として発表されたものという。中澤英雄という人が訳していて、この人は東京大学の教授のようだ。
このところ私はイスラエルで現在進行中のOR Movementなどに関心を寄せている。それはイスラエル南部のネゲブ砂漠の緑化を中心とする開拓事業であり、数十万人規模の新規入植が予定されているらしい。しかもその事業主体はイスラエル政府ではなく、シオニストを主体とした非政府組織系の団体のようなのだ。
この開拓事業についてはなにしろ情報が少なく、詳細はわからないのだが、この運動を理解しようとすると、シオニストとイスラエル政府との間、あるいはシオニズムとユダヤ教との間に一定の乖離があるのではと想像せざるをえないのだ。そういう観点からすると、当論文中の以下の部分は興味深い。
《レッシングが呼びかけたシオニズムは宗教的に中立的な運動であったし、今でもそうである。当初からシオニズムはユダヤ教に対してはある種の敵対的な関係にあった。ユダヤ教は何といっても、イスラエルは世の終わりにメシアによってのみ再建されうる、と信じているからである。》(ボリス・グロイス「ユダヤの逆説、ヨーロッパの逆説 —テーオドール・レッシングの『ユダヤ人の自己憎悪』によせて—」(『思想』806、1991))
《その哲学的見解において、レッシングはとりわけニーチェの弟子である。ニーチェにとっては普遍的なものは学問と合理的な道徳に体現されており、これらの総体が「精神」の領域を形成している。そこでレッシングは、ニーチェにしたがって、「精神」の中に彼の主要な敵を見ることになる。学問も道徳も人間に幸福と心の平安を与えることはできない。それらは生命のない抽象であって、それらが人間を故郷の大地から引き離すときには、さらには有害な、生命を破壊する作用を及ぼすことさえある。そこでレッシングはユダヤ知識人に、「精神」に対する一面的な忠誠を放棄し、大地に、ユダヤ人の本源的な民族伝統に回帰するように要求する。》(同前)
《ユダヤ人自身の反ユダヤ主義》にもとづく《世俗主義的な運動》としてのネゲブ開拓?
《「公的な」シオニズムはユダヤ教のメシア的なパトスに対して、世俗主義的な国家を建設するというプログラムを対置したのであったが、レッシングはその時代の人種理論に依拠しつつ、シオニズムが行なったよりももっとラディカルなユダヤ教からの離反をユダヤ民族に勧めるのである。》(同前)
ORとはヘブライ語で「光」という意味だそうだ。OR Movementとは、ユダヤ人自身によるユダヤ教からの離反の後のビジョンを指し示しているのだろうか?