焦燥が鳴る
榊 慧


俺のことを暗い奴だと思ってる奴を俺は好きにはなれないが、ただ単に明るい奴だと思ってる奴は大嫌いだ。 大嫌いだ。








俺は、変わってるのか。
俺を主観として考えたらそんなことは絶対にない。けれど確かに(主に周りに言われて、などで)ちょっとおかしいのか、と思うこともある。それで悩む。何で悩むのかは判らないがそれが理由で、悩む。無駄な時間だ。



俺は昔の、俺が知ってる人たちでない人たちばかりが生きていて生活していて価値観があった時のことにすごく興味がある。だから歴史は好きだ。一番成績がいいのは今のところ日本史と世界史だ。模試の英数国の結果では国語だけが(俺の中の成績としては)やたらに良かった。悲しいのは、グラフで表すとほぼ見事な二等辺三角形だったことだが。そんで理系クラスに来年から入る予定だ。…大抵、「え、」という反応をされた。



俺は、友達がほしい。すごくほしい。けれど、上手くできない。
同級生、同世代の人たち、は何か、駄目なのだ。努力してある程度仲が良くなったとしても(ある程度我慢は流石にするが)物足りなく思ったり、ひどい時ではかなりイライラする。別に一人が好きとか言うのではないけれども、一人の方が行動が楽だと思えるような状況なので俺は一人で色々と過ごし、結果、俺は誰とも一緒に居なくなる。ああ、友達がほしい。俺は、同世代の人たちのような(というと見下してるみたいだけど、)話ができない訳じゃないのだろうと思う。ただ不毛に感じてしまってどうしようもないのでそういう話はしない。彼ら彼女らの、話している内容のおかしさに気づいてしまい、腹が立ってイライラして、泣きたくなったり、そんなことの繰り返しの被害を俺はなるべく少なくできたらと勤めていると、三者面談や何やらでなにかを知っているかのような口調で言われるのだ。自分の殻を破らないとだめだよ、 と。

殴りたい。殻どころか、俺は皮膚もはがして毎日やってんだけど。もうはがす皮膚もない位なのに、殻を破れっておかしいだろ。殻って、一人で大抵いつも行動してる奴は全員“殻”に入って篭ってると思ってるのか。
俺の世界はむしろ同級生のそれよりも広いと自負している。これだけは。(しかしその世界は同級生らのそれよりは広い、というだけで俺は実際には広くもなんともない。ものすごく狭い。)ただ、特に注意していることが違うのだ。俺は彼ら彼女らの興味を持っていることはすでに終えたか、必要ない・くだらない(つまらない)・好きでないとどんなものかと見学して参加しなかっただけだと思っている。俺が殻を被っているとしたら、すべてのどんな人も被っている。皆が被っていないのなら俺も当然被っていない。何が基準なのかを問い詰めてやろうか、と毎回毎回思うのだ。




俺は社会に埋もれたい。金を儲けたい。自分で自分の生活を送れるように金を儲けたい。自分で金を儲けることがまず自由への一歩なんだと俺は思っている。自分で金を儲ければ「クソの役にも立たない」「生きてる価値ない」等の言葉を(会社などの中では吐かれることもあるかもしれないが)言われる筋合いはなくなる。俺は今、何の役にも立たないただ浪費しているだけの身分だ。それが悔しい。何も言い返せない。事実そうだと自分で認めている。だから、自分で金を稼ぐ意外の脱却の方法はない。何かの技能が必要だ。



急いで行動しなければ停滞してしまうのは明らかだ。己で己を引っ張っていくよりほかに俺には方法が見つからない。傷の舐め合いでも塩を塗るよりはましだろう。……俺は、幼稚なのだ。多分誰よりも幼稚なのだ。弱いのだ。幼稚で弱いのだ。





…救いようがない。焦る事しか俺はしていない。……幼稚なのだ。


散文(批評随筆小説等) 焦燥が鳴る Copyright 榊 慧 2009-09-19 14:33:51
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