人間は平和を築く石畳だって言われる。平和という言葉は戦争よりも人を動かせると知る 詩集『日本はいま戦...
たったさっき、帰り道で「軍隊って別に戦争をやりたいわけではない」ということに気づきました。
『戦争論』では戦争は政治のためにすると書かれているし、『孫子』にも百回勝つものは必ず滅び、一勝する人が天下を取るということが書かれているのはしっていました。
考えてみると最強の軍隊というのは、キャッチャーの肩のようなもの。あまりに強ければ出し抜こうという気すら失うのです。すると戦争は起きない。
軍隊は戦争がなくても昇進することが出来ます。
軍需産業があるじゃないかという人がいますが、あの人たちだって別の産業でお金を稼げるでしょう。でも、戦争をしたくなくとも戦争によって解決できそうな問題はあるということ。これってとても不思議なことです。笑えない比ゆでいうとお金や宗教とおんなじです。
こんなことを思いついたきっかけは私が『36.5℃』の店長、NOBUさんとお話したからです。
幡ヶ谷にあるライブハウス『36.5℃』はこの世界のことを考えてくださる方にはライブハウスです。
http://365.seishun-p.com/
店長のNOBUさんをはじめ、社会について深く考えている歌い手が集まります。
ライブだけでなく、被爆者や、中越地震で前面に立って救護活動をされた方などをお招きしてお話を伺うという活動をされています。
NOBUさんがお招きした被爆者からお話をうかがったとき、「幸運だった被爆者と聞く意志のない質問者 」という記事を書きました。
http://literturehardcore.blog51.fc2.com/blog-entry-264.html
語られたのは元軍人で、非常に努力されて士官となった方でした。
このとき、私は被爆者に質問された方を「フェアでない」と書きました。そして、この記事を書いた後「どんな話を伺えたか」、「どういう風に戦争を捉えるか」ということをずっと考えていました。
NOBUさんも同じことを考えてました。NOBUさんだけではなく、この日私と同じ場所にいた皆さんが考えていたのだと、NOBUさんから聞かされました。
私がフェアでないと書いた方も、私のブログを見てくださり、そして『36.5℃』に行って、NOBUさんと語られたそうです。私もご一緒したかったと深く思いました。
「私たちには平和になりたいという気持ちが生まれつき備わっていて、私たちは石畳のように一枚一枚平和な世界を作るためにいる」という話をNOBUさんはステージの上でされていて、この言葉を聴いて私はほとんど泣きかけました。
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私が36.5℃にうかがった日はパフォーマンスのイベント、『BOA』が行われている日でした。私も詩の朗読をさせていただきました。
奥主榮さんの『日本はいま戦争をしている』という詩集から2編朗読しました。
戦争を体験された方のほとんどが亡くなった後で戦争をいかに伝えるか、身をもって示している詩集です。
戦争を体験された方々はあと20年でほとんどいなくなると考えると、伝える行為は重い価値を持っています。
『日本はいま戦争をしている』で、奥主さんは一人の人間の生の中の戦争を描いています。
昭和のはじめから戦時中の広告や放送、映画などの資料を深く読み込み、その一つ一つのことばを、奥主榮という一人の人間の生活体験を通してもう一度語っています。
反戦を語るよりも前の、戦争をしている世界に自分をさらそうとした詩集です。
『柊の壁』という詩を朗読しました。
『柊の壁』はハンセン病患者の通る道と患者でない人の通る道の間を分けた柊並木のことです。東村山にあるハンセン病療養所多磨全生園にありました。
ハンセン病患者の隔離政策は法律上はつい最近まで続いていたこの国の汚点のひとつです。
>> 国立ハンセン病療養所多摩全生園にいきました
http://literturehardcore.blog51.fc2.com/blog-entry-146.html
>> 写真で見るハンセン病と日本の歴史 書評『ここに人間あり』
http://literturehardcore.blog51.fc2.com/blog-entry-142.html
この詩は学童疎開で戦火をさけた子供を語り手として語られます。
柊の壁
おかあさま
僕は昨日 柊の壁のそばまで行ってまいりました
先の面会日にお話した
あの広い療養所のそばの生け垣まで
近寄ってはならぬと言いつけられていたことは
けして忘れてはおりません
でも土地の子たちに
都会っ子は意気地なしだと
空襲がおそろしくて逃げてきたなどと
言わせておくのはシャクなので
僕たちにも度胸があるのだということを
見せつけてやりたかったのです
三吉のやつばかりが
何やら逃げ口上を申していたのですが
鉄拳を見せつけたら
おとなしくなり ついてまいりました
柊の向こうには何かとても
怖ろしげなものがあるのかと
だからこそ寄ってはならぬと思っていたのですが
枝と葉の隙間から僕が見たのは
なぜかしら とても哀しそうなまなざしをした
僕と同い年くらいのおかっぱの子でした
そうですか おかあさま
あの壁の向こうの人々は
そのような恐ろしい病に
体をむしばまれているのですね
けれど僕にはあの子の姿が
とても近しいものに思えてならないのです
それどころか
許された面会日にはこうして会うことのできる僕が
一生を日の当たらない場所で生きていかねばならない
あの方たちより
よほど幸せであるのだと
思い至るほどに
あちら側の方たちをまるで汚らわしいもののように云われることは
とても心が苦しいのです
ええ おかあさま
そうした言葉を確かに耳にしたことがあります
悪しきことのすべてが前世からの報いであるかのような
何か永劫に救われないものででもあるかのような
そのような呼び方を以前
土地の子たちが吐き捨てるように
口にしておりました
けれど僕らは常日頃
科学の心を学校の先生方から学んでおります
松の根の油がどのように零戦を飛ばすか
だからこそ僕たちの動員が祖国を救うこと
野口英世がどのような辛苦の末に黄熱病の菌を見つけ出し
頓馬な白ン坊どもの目の玉を剥かせたか
そういえば三吉の奴
前に野口博士の発見は恥知らずな病のものだなどと
とんでもないことを申しておりました
そうした正しいまなざしで見れば
あの方たちの病もまたいつか
完治し僕らととともに亜細亜の朋友たちへと手を差しのべる
そんな日が訪れるはずではありませんか
わかりました おかあさま
やまいとなることが不忠なこころのあらわれ
この非常時に
天子様のお役に立たぬ身体を持っていることなど
許しがたい不名誉です
年端がゆかぬいたいけな子であるほどに
不届きな血筋をあらわしています
けれど おかあさま
ああしたものどもがいることを知ったればこそ
僕は心に刻みます
不忠さ故に無念に生きながらえる
おかっぱの子の哀しげなまなざしを
そうして それらのすべてを負い
僕自身は自らの肉体を強くすこやかに鍛え上げ
見事股肱の御楯となり
東洋平和の礎として果てたいのであります
「とても近しいものに思えてならない」おかっぱの女の子はおそらくハンセン病患者なのでしょう。
自分自身が受けていた「療養所」や「病」についての知識を超えたところで少年は人に触れ、そしてまた離れていきます。
「僕自身は自らの肉体を強くすこやかに鍛え上げ/見事股肱の御楯となり/東洋平和の礎として果てたいのであります」と語る少年はまるで後年の三島由紀夫のように黒く光っています。
そして、先ほどでた、NOBUさんのお話は、この詩の一番最後の「東洋平和の礎として果てたいのであります」も受けて話されたことでした。
戦争の中でも、人は戦争のために生きているのではなく、平和のために、平和という言葉のために人は動いているのだと思った、ということをNOBUさんは話されていました。(若干強調しています)
私の気づかなかったNOBUさんの感想に私は非常に感銘を受けました。
自分は一人でないということを強く感じた夜であり、そして詩集でした。
NOBUさん、奥主さんありがとうございました。
『日本はいま戦争をしている』はこの国の文学史に残ってほしい詩集だと思っています。
今回取り上げた詩集:『日本はいま戦争をしている』
出版社: 土曜美術社出版販売 (2009/06)
ISBN-10: 481201719X
ISBN-13: 978-4812017197
発売日: 2009/06
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/481201719X/gendaishiforu-22