喫茶さぼうるにて ー神保町探訪記ー
服部 剛
この数日間、僕は東京に所用があり、一人の時間はぶらぶらと気の向くままに、都内を歩いていました。数日間の休みの間に僕が心温まった「ちょっといい話」を、旅の便りのように皆様に贈るのもいいかなと思い、この手紙を書いています。
僕が今日訪ねたのは古書店街のある神保町にある、老舗のレトロな喫茶さぼうるという僕にぴったりの?名前の店で、僕の好きな作家が生前に訪れて座った席に僕も座ろうと思いました。店に入ると、壁に掛けられた古時計の下にモノクロームの写真が飾られ、在りし日の作家が仲間達と肩を並べて微笑んでいました。階段を下りて地下に入るとそこは煉瓦の壁に囲まれた、戦後間も無い頃から変わらない空間で、黒い傘を被った洋燈が、木目のテーブルを照らしています。白髪のマスターは、青年だった57年前からずっと、この店で働いて来て「今迄来ていたたくさんのお客さんの顔が、今も目に浮かぶなぁ・・・、ここはね、珈琲も売るけど、夢も売ってるんだよ・・・」と呟きました。僕は自分の詩集をマスターにプレゼントして、マスターは早目に仕事を終えて店を出た後、丁度僕が好きな作家が座っていた席が空いたのでそこに座ると、若い店員さんが「マスターからのサービスです」と、美味しいアイス珈琲を持って来てくれました。
茶色い煉瓦の壁の一つひとつに、今迄訪れた無数のお客さんの文字が書かれていました。その一つひとつを眺めると、それらは七夕の短冊のように思えて来ました。僕が働く老人ホームの職場も、この店のように人と人のふれあいが、いつかかけがえのない思い出になることを願いながら、僕はアイス珈琲を味わい、ひとときの間、瞳を閉じていました。