今日、鶏のシチュー
瀬崎 虎彦
枯葉のカサカサ鳴る音を聴き、傘の雫を払いながら、古くから家にある毛布を思い出していたんだけど、もう何度も引越しを重ねてしまったので、そんな毛布があるはずもないのに不思議なこと、と思って照れた。多分雨の匂いのせいだ。
私が仕事から帰ってくると、分かってはいたけれど予定調和的に、君が机に向かって本を読んでいて、君の自慢のボーズのスピーカーからビル・エヴァンス・トリオが低く流れている。私は服を着替えてから、お湯を沸かしコーヒーを入れる。君のカップはコーヒーのアクというのか、茶渋のようなもので真っ黒で、一度私が漂白したことがある。その時君はとても不機嫌になった。そういうことで言葉を尽くして、相手をねじ伏せても仕方ないので、理解できなくても私と君は折り合いをつけるという、無言の条約を結んだ。つまり、何も言ってはいないけれど、私たちは多分分かりあった。
「三度・・・夜の/肌の匂い/声の温度・・・喉は・・・もっと欲しがる/貝のかたち・・・中で/細く・・・糸を・・・吐く・・・そんなに・・・/・・・この世界にあるものなのか」
時々君が何かを音読する。書かれている内容に入り込めない時、君はよくそうする。そして断片的に、或いは気になった言葉だけを声に出すので、それを聴いている私にはさっぱりだ。私は本を読まないので君の声を聴いて想像してみる。でもそれで丁度良いバランスなんだと知っているので、私たちという関係を見失うことが決してない。君は学校が休みで、家にいる。さっき台所にシチューを作った鍋があった。ご飯も炊いてあって、君はこれをご飯にかけて食べるのだろう。私は君の作るシチューが好きなので、機嫌が良くなる。
コーヒーを持って君の部屋に行く。そこは和室で、机を置いてある場所だけフローリング風のマットが敷いてある。君の持ち物で四番目に高価な椅子は、畳を傷めないようにと、マットの上にさらに透明なプラスチックの板を敷いて、その上に置かれている。君が椅子の上にあぐらをかいて本を読んでいる。夏休みの前半、論文を一つ書いた。それが君の夏休みの宿題で、私は今朝それを投函してから仕事に行った。夏休みの後半、もう一つ論文を書かなくてはいけないと君は言う。それは頼まれた仕事なのだけれど、なんとなく自分でも一度文字にしておきたいと思っていたことなので、楽しみだという。まだ書かれていないものについて、楽しみとかそうじゃないとか、そう思う感覚は正直よく分からない。でもこういうものを書きたい、という期待なんだろう。
私からコーヒーを受け取った君は、ようやくお帰りといってこちらを向く。私の肩や胸を、ちゃんとそこにあるかどうか確かめるように撫でる。それから腰を抱き寄せて私のお腹に顔を押し付ける。それが君なりの甘え方らしい。これは儀式のように繰り返されていることなので、今では興奮もしないしそのまま服を脱いだりすることもないが、家に帰ってきたなと思えるひとつの大事な営み。
今日、鶏のシチュー。耳に届く音といっしょに、くぐもった君の声の振動が私の横隔膜を震えさせる。君がスピーカーの電源を落とす。机の照明を落とす。辞書を箱にしまって丁寧に書棚に戻す。そうしないと辞書に申し訳ないと君は言う。私たちは二人でテーブルクロスを広げ、食卓を整える。これは外国暮らしが長かった君にとって、どうやら大切なことらしい。私はビールを飲む。君はまだ仕事をするから、といって水を飲む。それから君は今日読んだ本の話(それは先週から同じ一冊の本だ)をする。私は今日病院であったことを話す。
今日、鶏のシチュー。