The Fallen Idol.(3)
生田 稔

 The Fallen idol
アメリカ大統領戦が終わると、この稿を改めて書こうと思っていた。アメリカ大統領はアメリカの良い意味での大国を代表する偶像ではないであろうか。偶像は永続しない、いつかは落ちる。でもそれまで善政を行えば、歴史にもその例はたくさんあるように、名は残る。しかし今回は、我が国日本の衆議院選挙が行われようとしている。自民党がその政
権持続が危ないと言われている。都議選などの数値をもってそう考えるのも当然である。
 でも此処で国民はもう一度、立ち止まって考えてみるべきではなかろうか。小泉首相の時国民は大きな支持を与えた。彼はよく民主政治の可能性を確かにした首相であったのではなかったか。私は、この首相が出るまで自民党の政権に関心はなかった。若いころは社会党が政治を握ることのみを願っていた。
 社会党にもその機会が巡ってきたことがあったのは記憶に新しい。村山首相が誕生し日本は新しい命あるいは方向を与えられるかに見えた。このようなことことを言うのはは少しはばかられるが、日本の政治組織は国会の下には官僚が進出して固く勢力をめぐらしているそうである。私はそれを思い村山政権の未来を危ぶんでいた。それのみではない村山氏はお身体がすぐれなかった。それからのこと何か雑然とした政局が引き続いて行ったように思う。自民党は社会党との連携に敗れ、公明党と連携した。社会党というものはこれで葬られたかのようであった。長年支持した、社会党の消滅は淋しかった。
 これらのわずかではあったが、日本の政治の推移を見るにつけ。今の日本にも大きな影響力を持つ首相の誕生が望まれる。偶像は大きいほうがいい、昨日自民党の鳩山邦夫氏も首相になる御意志があるということをはっきり知った。民主党の鳩山、自民党の鳩山両氏がたたれるかもしれない。自民党としては鳩山邦夫氏は適材適所ではなかろうか。政治問題にそう詳しくない私ではあるが、首相は体が大きく堂々とし、口も立ち、よく難局に立ち向かう体力と、よい政治家としての背景を持つ人が良かろう。振りかえれば、このお二人の祖父なのであろう、私はまだ若く何も知らなく、社会党も何も支持しておらず。大人の世界を不安と窮乏の内に眺めだした頃,故鳩山一郎氏が公職追放から解かれ、政治家として再出発、辞書をみれば1954年から〜56年首相を務められ、日ソ国交回復を推進されたあり、1959年没とある。
 結論として、鳩山兄弟は体力・才・背景に恵まれ首相たる人としてふさわしいと思う。落ちた偶像(fallen idol)という,不景気な題でかようなことを論ずるのは失礼ではあるがこれで稿を閉じる。選挙が終われば、改めて視線を変えて論じたい。
 


散文(批評随筆小説等) The Fallen Idol.(3) Copyright 生田 稔 2009-08-27 09:21:04
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