身体の海【6/6】10番目のピアス
A道化
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10個目のピアスは、9個目のすぐ下に空けた。恋人となるのが4度目となったTに空けて欲しくて用意したピアッサーを用いて、結局は自分で。相手が望まなければ意味が無い、単なる押し付けがましい願望だもの。
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2009年2月19日の夜、お仕事後のTとビール&焼肉頂いてから、雨の京都を歩き、寝転がるTを見たら、どうでもよくなってしまった。私、何が欲しいかって、ピアッサーに付属するピアスの冷たく尖がった銀色の金属針?いいえ!いいえ! それよりも、なだらかで、温い肌色のんがいい。だから、リュックサックの中の未開封のピアッサーのことを黙る。だってそれよりもお隣に寝転ってたい、
で、その翌日、2009年2月20日はお仕事。朝の京阪電鉄三条駅で柚子&黒胡麻風味の八ツ橋を購って出勤、働き、帰宅し、入浴し、空けようと思う。決める。2月の誕生石、アメジストの。 ガチャン。
ローではない、あんなにニュートラルな気持ちでのピアッシングは久しぶりだった。
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この先、私はまたピアスを空けることがあるのだろうか。空けるとしたら、どんな気持ちで空けるのだろう。私の願望と相手の願望がピタリ一致して、その人の手で空けられることはあるのだろうか。私はそのときどんな気持ちで、ピアッサーに付属したピアスの鋭敏な針が耳を貫通するのを待つのだろう。そのとき、私は幸せだろうか。ふたりは幸せなのだろうか?
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先日、Tがくれたメールの中にこんな言葉があった。
『体も心ものんびりしなはれや』
私の何に対してそんな言葉をくれたのかわからない、私が元気ではないらしいと感じたのか、あるいはこの一連の文章を読んで心配したのか。
わからない、けれど、ふわ、と軽いぬくい気持ちになって、ふふ、と笑った。そして返信。
『それがいちばんやね!』
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私を傷つける権利が私にあるのかしら?自由って?
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ああ、与えられた世界の中、与えられた身体の海の中を、のんびりと漂う私でありたい。
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一連の文章は、2009.2.28〜2009.3.6.の間に書いたものです。