身体の海【4/6】輪郭、輪郭、輪郭、
A道化
ただ、私がいた。
ただ、痛い心があった。ただ、体があった。それしかなかった。
そして、何故かしら、どうしても、体に、痛みが必要だった。
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4番目から6番目のピアスは、前職、私の唯一の会社勤め時代に、会社が合わなくて苦しくて1週間くらいの間に空けた。
7番目と8番目、軟骨のピアスは、とある人への恋を失う予感の為に眠れなかった夜と、数段階に分かれていた失恋の最終段階に。
9番目は、Tと(3度目の)お別れをすることになった前夜に。
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指に力を込めて、一気に、ピアッサーを強く最後まで握り締めるようにして、ガチャン。そしてそれを耳から離したら、そこには新しいピアスが刺さっている。呼吸している。そこには痛みがある、痛みの元のピアスを鏡で確かめる、
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ああ、辻褄が、合った、
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そのとき、私は、<辻褄が合った>、という言葉を思うのだ、<辻褄が合った>、だから大丈夫。そんな気がして、少し気持ちが落ち着いて、じんじん痛む方の耳を上にして、眠る。
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痛み、について。
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痛い、という感覚。
気持ち良い・快いという感覚と大きく違うのは、気持ち良さ・快さに我を忘れることはあっても、痛みの為に我を忘れることはなく、むしろ、痛みを感じれば、我に返る、ということ。ではないかしら。
快楽や幸福、プラスの感覚や感情を感じる時、自分の心身が拡散するような、他者と、世界と溶け合うような感覚、境界線が無くなるような感覚を感じる。逆に、心身に苦痛を感じる時は、心身がどんどん収縮し、たったひとりの自分をじんじん感じる。耳の痛みに、生きている、と、感じる。大丈夫、生きている、と感じる、そう感じさせてくれる耳がちゃんと愛おしくて、身体がちゃんと愛おしくて、
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心の痛みと身体の痛みが絡み合ってぐちゃぐちゃに痛くて痛くて痛くて、ぎゅうと目を閉じて私は私へと収縮して、思うのだ、
それでもこの世は美しい。
生きているし、生きてゆく。
大丈夫。