身体の海【2/6】ガチャン。自傷、救済、
A道化

 耳に、左右あわせて10個のピアスホールがある。

 ピアッシング、とは、自分の体に穴を空けてピアスを通す行為である。

 ピアス=アクセサリー=ファッション? 



 ファッション?
 私にとっては、違う。
 可愛い・空けてみたい、というような気持ちで空けたのは、10代のころに耳鼻科の診療所で空けられた最初の3つと、それらが化膿して怖くなってファーストピアスを外し結局のところ塞がってしまった為に、改めて、今度は自分で空けた3つ、それくらい。

 自分の体に傷をつける、という行為自体は、リストカットと同じ自傷行為、と言える。けれど、リストカットの傷跡が痛々しい跡として残るのに対し、ピアッシングの跡はむしろ自らを飾る。
 自分を、飾る、…けれど私の場合やはり、ファッション、として片付けるには特定の感情―負の感情を伴い過ぎている。
 悲しい苦しい辛い、という苦痛を心が感じ始めると空けたくなるのだ。苦痛を予感し始めると、ピアッサーを用意しなくちゃ、と思う。そして、苦痛が耐え難くなると、今日だ、空けよう、と決める。きちんと入浴を終えて身を清めた真夜中、(助けて、)と思いながら、私は抽斗にしまっておいたパッケージを破る。手を洗浄し、耳をまさぐり、ここ、と決めた辺りを消毒する、(助けて、助けて、)と、そこにピアッサーを宛がう、本当にここでいい?少しためらう、ためらえばためらうほど耳が熱をはらんで赤らんでゆく。…ここ! そこを目掛け、一気に、ガチャン。
 すると、不思議なことに気持ちが少し落ち着いて、私はやっと眠れる。

 つまり、救済。


散文(批評随筆小説等) 身体の海【2/6】ガチャン。自傷、救済、 Copyright A道化 2009-08-07 01:29:43
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