一時閃光
影山影司
紙製梱包材を開封すると、下読みが蹲っていた。両膝で頬を挟むように体育座りして、脚の爪の長さを測っている。体毛は全て剃ってあり、陽の光に当たり慣れていないのか肌は薄紅色。年の頃は二十後半だろう。同じ大きさの箱が台車に乗せられて、一つ、二つ、三つ四つ、空き部屋の隅に順々に下ろされる。どれも中に似たような下読みが入っている。初夏と年末年始は、下読みの旬だ。それにあわせて我々出版社も、この時期に文学賞を公募する。
青の作業服に身を包んだ配達業者が手際よく折りたたみの机と椅子を広げて並べる。席の数は十五。応募総数は約1400作だから、一人当たり10作品ほど読む計算になる。間に合うかなぁ、とザッパに計算する。下読みの寿命は公称で一ヶ月ほどだ。個体差、気温や、作業負荷などによって寿命は変化するから25日と計算しろ、と編集長から教わった。三日に一作は読んでもらわないと間に合わない。彼らが作業を完了させないと、一次選考の仕事は編集者、つまり自分に回ってくることになる。
未発見の才能、商業主義に毒されていない新人の作品。聴こえは良いが素人の投稿作品なんて、その大半が読めたものではない。誤字脱字だらけのもの。物語はおろか言葉遣いが破綻しているもの。昔バカ売れした作品のデッドコピー。そんな『読む価値の無い作品』を精読する程、作家も編集も暇ではない。なのでこうやって下読みを使って、作品をふるいにかける。
ここにいる下読みは全て四国にある再生紙工場で栽培されたものだ。新聞だとかチラシだのを原料にした粗悪なパルプで育てられたものとは違う。小説や文芸誌だけを溶かした古紙パルプ、つまり純粋な文学液をたっぷりと与えられて育った優良品だ。文学液の原料は、大手古本店の売れ残り品だ。汚れすぎたり、在庫として一定期間保存されて売れなかったものが毎日大型車で運ばれて、特別な機械で一字一字バラバラに溶かされるのだ。新人の頃見に行った工場は、圧倒的だった。独特の臭気、精液のような粘液に浮かぶ文字、そしてそれを血管に注がれる下読み。
体験ルポでしか知らない世界を目の当たりにして、「あぁ俺も編集者になったのだ」と感じた。
机の上にお茶のペットボトルを一本ずつ並べていく。下読みは胃袋を持たない。だから食事は必要ないのだ。かいた汗の分だけ水分を摂り、栄養を使い果たしたら死んでいく。その刹那の生き様は昆虫や兵隊のようだ。
窓の外では蝉の声が喧しく、陽の光がギラギラと降り注いでいるが室内は少し肌寒い。下読みのために冷房を強めに設定してある。今日から一ヶ月、彼らは文字通り命を削って小説を読み続ける。
一次選考が完了して、どれくらいの作品が残るだろうか。十五作は残って欲しい、と毎年思っている。小説を読むために生まれてきた下読みが、その一生のうちにたった一作もちゃんとした作品を読めないのでは、あまりに切ない。
一生のうちに一作、心から満足する作品を味わって欲しい。
自分は、そんな気持ちで編集者になったのだ。