メランコリック.夜間行殺法
影山影司
すっかりぬるくなった湯に体を沈めながら、浴槽の堅さに身を寄せる。眠るのは嫌いだ。夢を見るだとか、人生の無駄だとか、そんなくだらない理由じゃない。そもそも感情に理由を求めるヤツは総じてクソだ。まるで脳味噌の仕組みを全て把握しているんです、と言わんばかりに長々と高説垂れる輩はその口で詐欺でも働けば良い。
窓際に並べたラジオから、ノイズ混じりに声。
底辺労働者の憂いを歌った曲を紹介するトップスターDJ、薄気味悪いハングル表記の言語を説明する女、どこかの道路で発生した追突事故。誰と誰が結婚したか、その顛末。株価、ドルの値段、大統領の表明。
耳を傾けていると、いつの間にか意識がずるりと抜け落ちる。一分か、三分か。数分の意識の明滅に、俺の精神はすっかりやられている。
俺が眠りに入ると、その瞬間『メランコリック』が顔を出す。ヤツは天井に頭を突っ返させるほどの長身で、肩甲骨の辺りから体を折り曲げて俺を見下ろす。折り曲げた背中はべったりと天井にひっついて、溜まった水滴がボタボタと落下する。でかいくせに体は細く、体に比べてさらにヒョロ長い腕と手指で、俺の体を弄繰り回す。俺の体の右乳首を五回、左乳首を三回、右肋骨下から二番目を七回叩くと、俺の腹部−胸部ハッチが開く。メランコリックは優秀な修理工。眠っている俺を起こさないようにそうっとバスタブに入り、俺の体の隙間を縫って足を置く。立ったまま指先で手術を行う所を見ると、視力だって抜群だ。
俺の体は何処も悪くないんだ。
メランコリックは隙を見ては俺の臓器を取り替える。
俺は日々、まじめな大人になろうと頑張っているのに、気がついたらタバコの嫌な臭いのする大人になっている。メランコリックが俺の胃袋を取り替えたときなど、酷い悪臭がするものだから終日便所でえづいた。
手術はあっという間に終わる。動脈一本、肺胞一つ取り替えるだけの時もある。俺が慌てて目を覚ましたときには既に、メランコリックは俺の臓器を闇市で売り払っている。俺の臓器は高く売れるんだ。だからメランコリックは毎日やってくる。
俺は冷蔵庫じゃない。生きの良い培養槽でもない。
今日、ついにメランコリックは俺の右目をもって行きやがった。左目で右目を見ると、右目は左目に比べて随分黄色い。黄色の電灯で照らしたような世界。いや、ニコチンが染み付いたような世界が見える。
ぬるま湯に潜って瞬きをしても、揺らめく水面がまだ黄色い。