たまごがけごはん
唖草吃音
これは2年くらい前に何気に書いた散文です。
ただ、これが自由詩なのか散文なのかわかりません。物語の主人公は僕ではありませんが、物語は僕が想像の中で体験した事実です。そういう意味ではエッセイなのかもしれません。
この町の電話帳には名前と住所、そして電話番号の他には
料理の名前が一品添えられている。
たとえば、
山田太郎
033−○○○−1234
○○市○○区○○町○○丁目○○番地 (オムライス)
こんな感じだ。
ところで、なぜこのようになっているのかというと、
この町には週に一度、必ず他人の家で夕食をとる習慣があって、
電話帳に記された料理は、その家が調理するのを最も得意とする料理である。
つまり、どの家も看板のない専門料理店のようなもので、
どの家族も週に一度はこの町のどこかの家族を食事に招待し、又されるのだ。
だから週に一度、家族で食べたい料理が決まると、
伺う3日前に電話を入れて人数等の予約をいれるというようになっている。
ちなみに料金はただ(無料)だ。
電話帳を開けると、天婦羅、カレー、ハンバーグ、
スパゲッティ、カツ丼、ホワイトシチュー、
お好み焼き、鍋、ビーフステーキ、鯛めし、ポトフ、
パエジャ、ピザ、鰹のたたき、等々、様々な料理の名前がズラリと並んでいる。
この町の約5000世帯の数だけの料理があって、
しかも同じ料理はひとつとしてない。
この町は世界でも類をみない、
巨大なレストラン街になっている町なのだ。
この町のこの風習の歴史は古い。
だから料理にもその時代の流行のようなものがあって、
時代によって予約が殺到する家もあれば、
まったく予約が入らないさみしい家もある。
僕の家の得意料理は「たまごがけごはん」だ。
僕の家ではこの「たまごがけごはん」を、
この町にこの風習が生まれた200年も前から守り続けている。
ひいおじいちゃんの代のころには、毎日のように、
「たまごがけごはん」を求めて、
どこかの家族が入れ替わりに訪れたそうだ。
けれども今では洋食なんかに押されてしまって、
半年に一度、よその家族を招待することが出来れば、それが珍しいくらいだ。
そういうことなので、滅多に他の家族を招待することのないわが家族は、
他所の家にお伺いする週に一度のこの日には、どこか申しわけないような、
後ろめたいような、重い気持ちになる。
でも、僕たち家族を招待するどの家の家族も、これが昔から続く慣わしなので、
一応に嫌な顔を見せずにその家の得意とする手料理を振舞ってくれている。
けれど僕たち家族が、電話帳を見て予約する家のメニューも、
ステーキなどはとんでもなく、なんだか質素なものが多くなってきている。
そしてなにより、僕たち家族がこの外食の日を明るい気持ちで
迎えられなくなっている。
ああ、この三週間は豆腐料理が続いている。冷奴、おから、湯豆腐。
今日は食べたい料理を選ぶ日だ。
決まったらいつも、お母さんがそのお家に電話をしてくれる。
僕の家族はいつもより真剣な眼差しで、目を皿のようにして電話帳を見ている。
実はそれには理由があって、なぜなら今日は僕の誕生日だからだなのだ。
しかし微妙な気分の誕生日だ、心から喜べないよ。
そりゃお父さんもお母さんも小言のひとつも言わないで、
朝には「おめでとう」を言ってくれたけども、
実はもう、半年もの間、僕の家はよその家族を招待していないのだ。
「もしもし、○○さんのお宅ですか?」
お母さんは受話器を持つと、話し始めた。
「お宅のエビフライを食べにお伺いしたいのですが?あ、わたしは「たまごがけごはん」の佐藤です。あ、はい、はい、ではよろしくお願いします。」
お母さんは静かに受話器を置くと、僕の方を向いてニッコリと笑った。
エビフライは僕の大好物だ。