散文苦手が書く散文・その1
山中 烏流
そしてこれは日記のようなものだ。
むしろ、「日記」と括ってしまった方が正しいかもしれない。
そんな散文です。文法やらなんやらは滅茶苦茶です。
内容も支離滅裂です。論がころころ変わります←重要
どうしようもなく暇だったり、物好きな人だったりが読むと丁度よかったりします。
では、しばしお付き合い下さい。
いつの頃だったか、確かずっと前。去年か一昨年の話。
どのジャンル、というように限定して考えたわけではないのだけども、まあとりあえず批評について考えたことがあった。
大して時間をかけて考えたわけではなかったから、たどり着いた答えもだいぶ安直なもので、確か
「好き嫌いを交えてする批評は批評じゃない」
とか、そんな感じだった。
なんでこう考えたのか?
それは、当時とある場所で批評人の真似事をしていたからだ。
そこでの批評をしていて気付いたこと。
それは、その場所での友人が多い人・活動暦の長い人の作品ほどもてはやされていたことと、逆にそうでない人の作品にはあまりみんなの目が向いていないことだった。
その場所での批評は、特に要請が無い限り「辛口板」という場所へ投稿された作品にのみ行われていた。「辛口板」は、ここでの「生贄合評スレ」みたいなものだと考えてもらえれば幸い。
そこで私は投稿しつつ、自分の投稿した作品前後の作品に対して批評をしていた。
それで、私がそれに気付いたのは、そこに参加するようになってしばらくしてから。
たまには批評の方だけを読んでみるかな、とページを送ってみると、明らかにそこでの友人が多い人や活動暦の長い人の作品ばかりにレスがついていて、その他に対してのレスは少なかった。もちろん全くついていない訳ではないのだけれど、その差は一目瞭然。
しかも「辛口」と銘打っておきながら、ついているレスは賞賛の言葉ばかり。言われている方も嬉しそう。「批評」をされたくて、そこに投稿をしたはずなのに。
ふむ、果たしてこれは批評なのだろうか。と、そこで私は考えた。
これは、つまり作者や作品への好き嫌いを交えてする批評は、批評ではないのではないか。
それはもう批評ではなく、ただの推薦や批判なのではないだろうか、と。
もうそこで詩は書いてない。いや、そこが嫌になった訳ではなくて、環境的な問題で書けなくなったんだけども。
ただ、それに気付いてからはそこでの批評はあまり嬉しく感じなくなった。
中には全部の詩に対して批評をしてらっしゃる方もいて、その方からの批評はありがたく聞かせてもらっていたが。
しかし、そこを離れる一年前くらいには、もう「辛口板」は覗くことすらしていなかったのを覚えている。
つまり何が言いたいかというと。
有名だからとか、この人個人的に好きだとか、仲良い人の作品だからとか、気に入った作品だからとか、そういった私情込みでの批評は批評ではない……と、思う人もいますよ、的なことだ。
こればっかりは個々の感じ方だから押し付けるのも嫌だし、控えめな言い方にするけども。
もっと簡潔な言い方をするなら、
「評価」と「批評」は違う、ということ。
賞賛しただけの文章は、決して批評にはなりえない。
とか、思うわけだ。
これ、私からすればどこにでも当てはまる話だし。
ここにだって。
さて、もし読んでくれた方がいるならばお疲れ様でした。
あと、ありがとうございました。
それではまた。