panopticon
ケンディ

ラウラ・ニーダーゼッセンは非-自由を求め続けている。
そしてそれを実行している。
彼女はあるシュパールカッセ信用金庫頭取の秘書だ。
仕事から帰ると彼女は、必ず初めにやることがある。
部屋の隅にかけてある複数のヴィデオカメラの電源を入れることだ。
次に自分のパソコンを立ち上げる。ヴィデオカメラは部屋の中を
すべて映し出し、録画し、パソコンからインターネット上に流れる。

その一部始終も彼女はモニターに映し出し、それを眺めている。
モニターに映し出された、自分の斜め後ろ姿、横顔、正面の顔、
すべてを監視する。
自宅から出ない限り、自分のすべてが、録画され続け、
誰か--不特定多数の誰か--に監視され記憶される。
アルバムを見ているときも、食事しているときも、
独り言をつぶやいているときも、全て監視され、記録されている。

だが彼女はそれを望んだのだった。監視され、記録され
続けていることの自覚。

常に、条件反射的に、己のいましがた行ったこと、発言。
それらは人に聞かれて大丈夫だったかしら。
こう自問するのである。

それゆえに彼女は緊張し続けることができる。
あるとき彼女はコップを倒して水をこぼしてしまった。
その時とっさに彼女は、長々と言い訳を言ったのだった。

「今日は考え事が多かったから、体の周囲への注意が
散漫だったわ。」

独り言という形式ではあるが、不特定多数のギャラリーに
向けられていることもよく分かっていた。

バスタブから出るとき、必ず彼女は頭から拭いていく。
その時もよく、「水滴は床に落ちて行くわ。だから、
足から拭いていくよりも頭から拭いていったほうが、少しは
乾きが早くて合理的だわ。」
こう言い訳をした。しごくもっともである。このように、家の中でも、
少しでも他者と異なるであろう行動、発言などを行う際、
彼女はその合理性、根拠をいちいちモノローグした。
歯ブラシの構え方、眼鏡の拭き方、時計の置いてある位置等。
それらをいちいち説明した。だがそれは独り言である。
本を読んでいるときに、しくじって本が勝手に
閉じてしまうと大変である。30分は
延々とその原因について独り言をすることになる。

先にも述べたが、これは彼女が望んで自ら形成した
環境である。この一望監視施設(Panopticon)は。

インターネットから入手した画像から判断するに、
私はそうだと思っている。


散文(批評随筆小説等) panopticon Copyright ケンディ 2009-06-20 23:40:34
notebook Home 戻る