面接(2)
虹村 凌
「いえ、そういう事でも無いんですが、違わなくないような」
俺は返す言葉に詰まり、珈琲カップを持ち上げてから、さっきその珈琲を飲み干した事に気付き、汗だくになったグラスの水を、一気に飲み干した。氷がガシャリと音を立てる。
濡れた指をズボンで拭い、もう一度セブンスターを大きく吸い込む。紫色には見えない煙が、ぐるぐると舞い上がっている。
さて、どこから話せばいいのだろうか。高校の頃からの話をすると、余裕でこの店の閉店時間を越えてしまいそうだし、そんな長い話は聞きたく無いだろう。重要なのは、俺がどう変わっているのかを、手短に、端的に、簡潔に、それでいて納得の出来る理由やエピソードを踏まえて話さなくてはならない。言うのは簡単だが、やるのは難しい。
自分は変人である、と言う自覚はある。だが、さほどでもないと言う自覚もある。そのバランスが重要であると考えているが、じゃあこの三つをどう話そうか、と言う事に、最初から戸惑っている。ここまで来て、また今度、と言う訳にはいかないだろう。
「俺、別に浮気とかはせんと思うんです。と言うか、出来んと思います」
「どうしてですか?」
「あんま、モテないんで」
言った瞬間に、しまった!と心の中で叫んだ。これは言うべきじゃなかった。彼女の表情が一瞬曇った。人生は選択肢の連続だと言うが、何となくその通りだろうと思う。あまりやった事は無いが、ギャルゲーなんかだと、こういう時に選択肢が三つくらい出てきて、その選択肢で好感度が上がったり下がったり、なんて事を考えている。現状は、どう考えても好感度が激しく下がっている。
空気が読めない訳ではない。むしろ、空気は敏感に読める方だが、そのリカバリーの仕方を全く知らない。俺の脳味噌がフリーズする。ね、眠い。
「…あんまりそういう事言わない方がいいと思います」
彼女は、灰皿の上で燃え尽きたセブンスターを眺めたまま、こちらを見ずに小さい声で言った。
「すみません。こういうの、慣れてないんで、つい」
俺は縮こまって、灰皿の上でチリチリと燃えるセブンスターを手に取る事が出来ずに、しばらく眺めていた。
パァーン!とデビル俺が脳内で弾けた。もう我慢ならねぇ!何なんだこの状況!ありえねぇだろ!何で俺が追い詰められてんだ!何か悪い事言ったか?!冗談じゃねぇ!事実を言っただけじゃねーか!あーそうですよ!モテない人生歩んできましたよ!半年続いた試しがありませんよ!それがどうした!お前に関係ねーだろ!何だってんだ!
などと言う事はおくびにも出さず、俺は何とかコップの中の水滴を舐めた。少しだけ、冷静さを取り戻し、デビル俺はなりを潜めた。
逆転満塁ホームランを打たれた投手が、交代させて欲しいにも関わらず、ブルペンには誰も控えおらず、投手交代も出来ないままマウンドに立っている心境とは、このような感じなのだろうか、などと本当にどうでもいい、場違いな事を考えている。俺の脳味噌が読まれていたら、ジャパニーズオーシャンスープレックスホールドをぶちかまされても文句は言えない。だめだ、他の事を考えたい。と言うか、眠りたい。極度の緊張で喉が渇いているが、それ以上に眠りたくて仕方が無い。
「あの…」
「はい」
反射的にビクッとする筋金入りの女性恐怖症だ。
「煙草、セブンスターですよね。」
「セブンスターソフトです。たまに、浮気してキャメルとかピース吸ったりしますけど」
「私、ピースなんです」
「知ってますよ」
「え?」
「前に、休憩室で吸ってるの、見た事あるんです」
言った後に、少しばかり後悔した。いつも見ていると思われたか?
「そうですか…休憩室では一回くらいしか吸って無いのにな…」
小さな、でもよく通る声で呟いた彼女は、鞄の中から、ピースを取り出すとジャケットの上着からジッポを取り出して火をつけた。
何だ、持ってたんじゃないか、と言おうとしてやめた。彼女の真っ白な指が、黄色いソフトパッケージのピースを叩き、真っ白いピース一本を、取り出す動作を眺めていたからだ。別段、美しい訳ではなかった。取り立てて、不器用な動作でもなかった。ただ、何か、ひっかかる動作だった。誰かの動きに似ているのだろうか、と知っているスモーカーを脳内検索したが、誰一人彼女に近い動きをする人はいなかった。
ジッポの先に、香水を吹き付けてあるのか、柔らかい香りが、一瞬広がってはじけていった。俺も、もう殆ど燃え尽きたセブンスターに手を伸ばし、少し吸い込んで、彼女が吐き出すピース色の煙に、セブンスター色の煙をぶつけて、煙草をもみ消した。
「浮気っぽいんでも無かったら、何が言いにくいんですか?」
彼女が、少し踏み込んだ質問をしてきた。なかなか打ち明けない俺に、多少の苛つきを覚えたのだろう。
困った。
組んでいた足を解いたのか、彼女の足が俺の脛をかすめて行った。この程度でドキドキするような奴だぜ、俺は!と心の中でデビル俺が笑っている。俺の肉体は、彼女の目を見るのが怖くなって、眉間のあたりを見つめている。
話をせねばならん。今更か、と言う気もするが、俺にしちゃ早い方だ。とても早い方だ。今は俺を褒めてやりたい。普通なら腹を括るのに一週間は要すると思う。全てを話すのは疲れるとか、面倒とかの怠惰な考えと、どうせ受け止められんだろうとか、失礼・無礼な考えまでがデビル俺を成長させ、対話と言うのを怠らせる。これが良く無いとわかっていても、ついつい手を抜いてしまう。 しかし、今回は彼女から聞いてくれているのだ。説明出来ないと、本当にただの変人になってしまう。説明できる限り、何とか普通でいられる。今まで、説明を怠ってきたから、変人扱いされてきたし、それが嫌だったから、色んな場所で仮面をかぶってきた。
俺は新しいセブンスターを取り出して、火をつけた。
店員が、新しい灰皿に交換してくれた。
「端的に言うと、俺、」
ここまで言って、次の言葉を選んでいる。
「変、なんです」
「…」
さっき聞いたよな、と思い急いでフォローの言葉を探す。
「どう変かって言うと」
待ってました、と言わんばかりに彼女がこちらを凝視する。あからさまに体温が上昇し、心臓の鼓動は早くなり、喉と唇は干上がり、あごが微かに震え出した。
「俺、女の人、怖い、んです」
言い終わった後、乾燥のあまり、かはっと変な音が出た。ろれつが回っていたのかすら記憶に怪しいほど、緊張している。彼女は、俺が何を言っているのかわからないと言う表情で、ずっとこちらを見ている。視線が外せない。完全に、空気に飲まれている。びしょびしょに濡れたグラスの中で、氷が音をたてて解けたのを機に、俺は慌ててグラスに手を伸ばし、わずかな水を舐め、ついでに氷を噛み砕いた。
長い。あまりにも長い沈黙が訪れる。緊張のあまり飛びそうになる意識を、新しいセブンスターでどうにか繋ぎ止める。
「あの…」
「かっ…」
はい、と言おうとして、また喉から変な音が出た。
「?」
「いえ、なんでしょう」
「その、女の人が、怖いんですか?」
「はい」
「私も、ですか?」
「女の子、ですから、正直、怖いです」
「何が怖いんですか?」
「何考えてるか、わからないんで」
「そんなの当然じゃないですか」
「そりゃそうなんですけど、何かこう、男子校出身だし」
「そんなの関係ありません」
一蹴されてしまった。
「言ってください。私の、何が怖いんですか?」
「…」
「言って、下さい。」
「外、出てもいいですか?」
「え?」
「場所を変えて、お話します」
俺は席と立つと足早に一階に下りて、レジで会計を済ませると、素早く外に出て、セブンスターに火をつけた。申し訳ない、彼女の事を、一瞬の間、忘れていた。
彼女は後から出てくると、財布を出して
「幾らでしたか?」
と訪ねてきた。
「500円です」
嘘だ。ただ、払い易いように、幾らか差し引いただけだ。オゴるのも何か違う気がするし、あまり細かい割り勘も俺のポリシーじゃない。そもそも、そんなおごるような余裕は無い。それが一番の理由かも知れん、と500円玉を受け取って、財布に仕舞いこむ瞬間に見た、俺の財布の薄さを見て心の中で呟いた。
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