誰が豚かを決めるのは俺だ
花形新次
♪ジョニーが来たなら伝えてよ
二時間待ってたと♪
隣の家の真行寺のおばさんにそうお願いしていたら、
ある日の夕方おばさんは血相変えて僕の家に来てこう言った。
「あんた気をつけなよ。」
「何にですか。」
「あいつだよ、あいつ。」
「あいつって言われても。」
「ほら、ミョウガ…何とかっていう男。」
「えっ?」
「友達かなんか知らないけれど、昼間あの男があんたの家を柵ごしに覗いていたんだ
よ。」
「そう…。」
「気味悪いったらないんだから。」
「そうか…帰ってきたんだ…。」
「兎に角、あんなのには関わらない方が良いと思うよ。」
そういうと真行寺のおばさんは、気味悪い、気味悪いと繰り返しつぶやきながら
さっさと帰っていった。
僕はそれを見送り、ドアを閉めてひとりごちた。
「そうか、帰ってきたのか、ミョギー。」
でも…おばさん、僕はジョニーが来たならと言ったんだよ。
ミョギーじゃないや・・・。
その夜彼は一人暮らしの20代会社員の男のアパートの部屋に忍び込んで
(本気でやろうと思えば大抵の家は侵入可能なものだと彼が自慢げに話すのを
聞いたことがある)暗闇の中ベッドで寝ているその部屋の男の横面を
いきなり引っ叩いて起こすと喉元にサバイバルナイフを突きつけまだ寝ぼけ眼の
男に向かってこう言った。
「オマエの家にPCはあるか?」
真っ暗闇の中男に彼の顔は見えなかった。だが何かしら鋭利なものが
自分喉仏に当てられていて冷やりとした金属の感触が伝わるのはわかった。
何が何だか状況を把握できないまま「うん。」と寝起きのかすれ声で返事をすると
彼はフフツと小さく笑いPCのあるところはどこだと聞いた。
男がそこにあると指差すと彼はPCを立ち上げろと言った。
男はまだ自分の置かれている異様な状況を理解し切れていなかった。
サバイバルナイフを突きつけられたまま彼に促されてPCの前に座り電源を入れた。
「あんた一体何者だ?」
恐怖で震えそうになる声を必死に抑えて男は聞いた。
「何者であって欲しい?」
「こんなことをして許されると思ってるの
か?」
「こんなことって?」
「俺にこんなことをして。」
「まだ何もしていない。」
「金なんかないぞ。」
「金か…。金が欲しかったら初めからオマエの家などには来ない。
俺はそんなに馬鹿じゃない。」
そう言って彼はまたフフッと小さく笑った。
PCが立ち上がると画面の明かりで振り向けば彼の顔を見ることができた。
しかし彼は機先を制するように絶対に振り向くな、PCの画面だけを見ていろと言った。振り向いたら最後オマエの首はこのフローリングの床に転がり落ちることになる。
「分かるな?」彼は静かに言った。
「ああ分かった。」
「分かったら次はメールを開け。」
「メールを開いてどうする?」
「いいからメールを開いて俺の言うとおり 文章を打ち込むんだ。」
男は彼が何故こんなことを自分にやらせようとしているのか皆目見当がつかなかった。
「何を打ち込むんだ?」
「今までの人生でオマエがやった最も悪いことを書け。
そしてその悪事について懺悔しろ。」
「悪事っていわれても…。」
「ないことはない。どんな些細なことでもいい。そのかわり誠心誠意懺悔するんだ。」
「些細なことなのに?」
「そうだ。」
男は自分がやった最も悪いことについて考え始めた。
しかしコンビニエンスストアで店員がつり銭を多くくれたことに気付いたのに
知らん顔してネコババしたことぐらいしか思いつかなかった。
それを言おうかどうか迷ったがそう考えると何だか自分はとてもつまらない
人間ではないかという気がしてきて恥ずかしくなり言えなかった。
その間彼は黙ってじっとしていたが男がグズグズしているのに痺れを切らせて
口を開いた。
「ではこうしよう。オマエは小さな女の子を連れ去り乱暴して殺し山に埋めたんだ。」
「ええっ!?誰が?」
「オマエが。」
「何で?!」男はますます混乱していた。
「オマエが自分で思いつかないからだ。」
「だからって俺はそんなことはしていないのに。」男は泣きそうになっていた。
「いいんだ。」
「よくない!」
「あまり大きな声を出すな。オマエが思いつかないのが悪いのだ。
真の悪人は自分のやった悪事に気付かない。」
「何を言ってるんだ、あんた!」
男は興奮して言った。
「そんなことメールに書いて、誰かに送りでもした…ら…。」
そこまで言うと、男はあっと声を上げた。
「そうか分かったぞ!あんたが少女をそんな目に合わせたんだな。
そして、その罪を俺に着せようって魂胆なんだ。メールを書かせて、
誰かに送った後、俺を自殺に見せかけて殺して…。」
すると彼が突然素っ頓狂な声を出した。
「ひゃっほー、やっぱ、そう思った〜?」
彼は今までとはまるで違う明るい声で
「でもねえ、残念でした〜。そんなこと考えてないもんね〜。」と言った。
そのあまりの変わりように、男は呆気に取られて何も言えなかった。
「あのね、僕ね、ある女性にメールを打ってもらいたいのよ。」彼は、楽しそうに
笑いながら言った。
「僕ちゃん、メールとか苦手でさあ。」
今度はちょっと申し訳なさそうに言った。
それを聞くと、男はワナワナと震えだし、大声で叫んだ。
「ふざけるな!そんなことのために、俺をこんな目にあわせたのか!」
「いいからいいから。そう興奮しないで、このアドレスにさ、
メールをちょこちょこっと打ってチョーダイ。」
彼はごそごそと自分のポケットをあさり、アドレスを書いた紙切れを出そうとした。
ぶち切れた男は「この野郎!」と叫んで振り向き、PCの光に照らされた彼の顔を見た。
しかし、彼の顔を見たとたん、また声を失った。
「えっ、ボギー?」
彼は、髪を後ろに撫で付け、白いダブルのスーツに蝶ネクタイを締め、
さながらカサブランカのハンフリー・ボガードのようだった。
下半身はステテコいっちょうだったけれど。
「ノーボギー!アイムミョギー!」顔を見られた彼は、わざわざ自己紹介しながら
サバイバルナイフでいきなり襲い掛かった。男が彼のナイフをかわそうと、
椅子から立ち上がったとき、外からパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。
誰かが騒ぎを聞きつけ、警察を呼んだのだった。
すると彼は男を襲うのを止め、サバイバルナイフを持った手を下ろし、
観念したように呟いた。
「お願いがあるんだ。」
「……」
「このアドレスに俺の名で、メールを打ってくれ。ずっと君のことを愛していた、
と。」
そういうと、ポケットから紙切れを取り出し、男に渡した。紙切れには
ningenkubo@dosukoi.comと書かれていた。
「ニンゲンクウボ…アットマーク…ドスコイ…。」
男はアドレスを声に出して読んだ。
「俺は行かなければならない。そうだ、まだ俺が誰か言ってなかったな。
俺の名前は茗荷谷博士。じゃあな、あとは頼んだぞ。」
彼は男にそう告げると、寂しそうに背を向け、玄関に向かって歩き出した。
男は彼の背中に向かってはき捨てるように言った。
「アホかオマエ!誰がやるか。このイカレポンチが!」
「そりゃそうだよね〜。」彼は振り返って笑顔で手を振った。
そして持参したカセットレコーダーのプレイボタンを押して曲を流しながら、
警官の待つ外へ出て行った。
♪シュプレヒコールの波
通り過ぎていく
変わらない夢を流れに求めて♪
中島みゆきの曲が流れる中、両腕を警官に抱えられ、パトカーに乗せられて
行ってしまった。
ミョギーは帰ってきたが、また何処かへ行ってしまった。
僕や彼の大好きな人間空母ノリちゃんを残して。
今、ミョギーはショーシャンクの空の下で、元銀行家の能力をフル活用して
頑張っているという。
つづく