パッヘルベルのカノン
かのこ
社会で生きていくことの意味について悩んでいる私に対して、「まだそんなこと考えてんだ」と鼻で笑っていたけれど
四月一日、その人の刑はもう執行されて、遥か遠くに旅立った。
私はそれを最後まで見届けることもなく。
未だ繰り返している。
確かに子供っぽいと思う。
いちいちこんなこと考えて悩んでるなんて。それで死にたくなってるなんて。
生きてたら、そりゃ、いいことはあるよ。楽しいことだって、いっぱいあるよ。
好きな人や物なんか、捨てる程あって、吐きそうなくらい。
でも、それで自分自身がかけがえのない存在になることはない。
だから、頑張ってるんでしょ。
それの、何が悪いのか。
意味も分からず生きることなんてない。しんどいだけだ。
意味なんかはじめから無いって知ってるけど、分かってるけど、まだもしかしたらどこかにあるって信じて探していたいだけ。
それの何がそんなに悪いのか。
諦めの悪い私は、未だ繰り返し、考えてる。
パッヘルベルのカノン。
8つのコードを28回繰り返す、この曲の美しさには終わりがないと思う。
それぞれに乗せられる、伸びやかな旋律。重ねれば重ねる程に、尊くなっていくまるで全ての季節のよう。
あるいは、この曲の美しさがその意味を物語っているような気もする。
まだあともうちょっとだけ生きてみよう、と思えるのは、この曲の美しさが終わらないからだ。
あともうちょっとだけ、聞かせて欲しい。最後まで見届けたいと思ってしまう。
あともうちょっとだけ生きてみたら、意味なんか要らないと思えるようになるかも知れない。
そう、もう一度はじまりと終わりのDを求めるように。