告示・通達
ケンディ

「研二様、3番窓口までお越しください。」

待合室の椅子でうんざりするほど長く待たされた
私は、
その声を聞き、やっと順番が来たという
安ど感とともに、
腹立たしさも湧いてきた。
今まで待たされた時間の長さを思い、
何という無駄な時間だったのだろうと
改めて感じたからだ。

少し不機嫌な表情の私は無言で
書類をカウンターに置いた。
3番窓口の事務員は
それに目もくれず、足を組んで座っている。
彼の眼は私を見ていた。
時折彼は、口元に運ぶコーヒーに目をやった。
だが、コーヒーに反射している彼の眼も
私を見ていた。

それなので、彼は沈黙の数秒間、
私をずっと見ていたことになる。

数秒無言の見つめあいが続いた。

それから事務員は「宮沢賢治、ステートメント」と
つぶやきながら、何かを調べ始めた。

調べ物が終わった事務員は、
聞き取りづらい曖昧な発音で私に言った。

「あなたは宮沢賢治の『県技師の雲に
対するステートメント』という作品を知ってますか。」

事務員は私の返事を待たず続けた。
「宮沢賢治の詩に、「ステートメント」という言葉が題名に
含まれているものがあったのを覚えていました。
内容はすっかり忘れていました。
直ちに調査したところ、『県技師の雲に
対するステートメント』ということが判明しました。」

私は、日本語会話がよく聞き取れない。
リスニングは苦手なのだ。
かろうじて事務員が宮沢賢治の詩について
話していることが聞き取れた。

再度ゆっくり同じことを話してくれと
依頼するのも気後れした私は、
とりあえず
なぜ今ここで、そんな詩を思い出したのか、
聞いてみた。
文法をわざと間違え、変な発音で言った。
日本語をあまり知らない外国人であることを
アピールするためだ。


「公的機関の事務員という、この私の、役柄と、
あなたという映写機がここにあるという、
この関係から、
そんな詩があったなとつい思い出したにすぎません。

公務員が天候に向け、文句をたれたのです。
ステートメントだから、きっと正式な文句だったのでしょう。」

そう言った後、彼はくぐもった笑い声を上げた。
笑いが激しかったので、抑えるのに必死だったのか
額に汗がにじんでいた。

笑いがおさまった後、事務員は
「告示・通達の冒頭で、
『彼の眼は私を見ていた。
時折彼は、口元に運ぶコーヒーに目をやった。
だが、コーヒーに反射している彼の眼も
私を見ていた。』とありましたね。

賢治のこの詩にも『一瞥』が出てくるんですよ。

『しかればじつに小官は
公私あらゆる立場より
満腔不満の一瞥を
最后にしばしおまへに与へ
すみやかにすみやかに
この山頂を去らうとする』

とね。」

私は、何が言いたいのか、と聞いた。

「それだから、私の冒頭のまなざし(コーヒーに反射した
まなざしを含む。)も、公私あらゆる立場からの
不満の一瞥だったということにすべきだと思うのです。
文脈の効率を考えますと。」

彼は付け加えて言った。
「いわゆる遡及効ですよ。」


散文(批評随筆小説等) 告示・通達 Copyright ケンディ 2009-05-11 20:35:14
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