生き物と食べもの
猫のひたい撫でるたま子
60代の友達とご飯を食べに行った。
「誰かが首を吊っている、俺はそろそろ朝飯だ」という中原中也の詩を教えてもらった。彼の信条は、「大切な人は生涯3人でいい、それ以外は考えていたら何も言えない。」だという。人に刺されたり、ヤクザに命を狙われたりといった職業の方なのでこれは極論にしろ、何かを発してゆく為にはそういった心構えが必要なのだと思う。
一見厳しいように見えるその人でも、昨今の不景気で首を吊りたくなる瞬間があるそうだ。私はこんな心境を聞いてしまったら、その友達も私にとって生涯において守るべき3人に加えなくてはいけない気がしてしまう。ちらっとしか見せないそんな弱さも魅力的に映る生き方の人だ。リアリティーを追求した末、人に諦めているから人を憎まない人。私には到底できない境地、もしかしたら世代の違いもあるのかもしれない。
そんな会話でうどんすきを食べた。生の海老を入れるときにお店の人が、「尻尾から入れないと跳ねて服が汚れます。」と注意した。食卓に上がっていようが、生きているから海老が熱がるのだ。透き通った灰色の海老は熱湯の出汁の中でもがいた。もがく瞬間だけ少し胸が痛んで、それが普段見慣れている海老の通りに赤く茹だってきた頃には、旨そうな食べ物に変わっていた。
何かを食べないと生きていけないっていうだけで残酷な話だ。中国では犬肉がよく売られていた。中国在住の日本人女性は犬が好きだから食べないと言っていたが、菜食主義も、イスラムの豚肉を食べない食事も、無神論者の私にとっては意味不明だった。私には食べられる体があるのだから、好き嫌いはあっても出されたものはなるべく頂こうと心に決めた。