原風景
影山影司
原風景を1つ答えよ、と問われたならば
小生にとってのそれは牛舎である。
小生が幼少を過ごした田舎は、そりゃもう絵に描いたような香川のド田舎で。
ため池があり、畑があり、どぶ川があり、人造池があり、田んぼがあり、神話と農水を湛えた湖があり、山に囲まれた盆地であった。
山というより、丘と言ったほうがいいだろう。
小学生の足でも登れる程度の、急勾配だが短い道のりでてっぺんまでいける。
山のてっぺんには外国人牧師の開いた教会と猫の額ほどの菜園があり、秋になるとそこで芋を引っこ抜き、夏になると雑草を引っこ抜いて遊んでいた。ただただ、長閑で人々が仲良く生きていたような気がする。
教会のある山とは反対の方向に牛舎はあった。
四方を畑に囲まれていたので、遠くからでもその姿は良く見えた。
茶色っぽい木枠のあばら家に、魔法瓶を突き刺したような餌だめ。
牛舎は全体的に黒っぽく見えた。少なくとも小生の愛するウルトラマンや仮面ライダーのようなハイソなカラーリングではなかったと記憶している。
肉牛か、乳牛か、それは思い出せないがとにかく奴らはさしたる障害とも思えない木組みの檻にギウギウと詰め込まれていて、時折思い出したように尻尾を振った。尻尾を振ると一間置いてボタボタと糞が垂れ落ちることを、小生は発見した。平和な村には似つかわしくない危険な生き物だと認識したのである。
あらかじめ断っておくが、そもそも当時の小生に、奴らを食おうだとか、乳をもんでやろうなどと邪な考えは無かったと断言しよう。
朝、目覚めたらご飯を食べて学校へ行くのと同じように、白くて黒くて糞を垂れる生き物はそこにいるのだと考えていた。
時折、牛舎の近くを通ることがある度に小生は奴らを観察していた。
漫画や、テレビで見る奴らと違って実物はムキムキである。アメリカのコミックに出てきたら、ウルヴァリン、と呼ばれるんじゃないかと思うほどにムキムキである。小生は、奴らの、特にケツ部分の筋肉が恐ろしく盛り上がっていることを発見した。
あのケツが糞を垂れ流しているのかと思うと、得体の知れない恐ろしい気分に襲われるのであった。
またある時、牛舎というのは大変臭いものだと学習した。田舎というものは大抵、臭いものであったので、発見するまで大分時間がかかった。当時の小生は、たとえばどぶの中でザリガニを捕まえたり、母がガーデニングと称して庭木に水をやるのを眺めたり、近所の田んぼの中に隠れているカニだかエビだか良く分らない虫けらを粉々に粉砕する遊びに興じていたので、野趣な香りに対して、非情に鈍感であった。
奴らはもふもふした消し炭のようなものの上に鎮座していたが、それが糞と何かを混ぜ合わせたものだと気がつくまでにはもう少し時間がかかった。丁度耕し終えた畑の土に肥料を混ぜたような見かけだった。
彼らはロボットか何かが格納庫に収納されるように手足を折り曲げ、糞の上に座り込み、理性を感じさせぬ顔つきで草を食むのである。
たった十年も生きていない小生だったが、奴らは危険だ、と認識するには充分であった。
それから十年程経った。
父母の仕事の都合で小生達家族はスラム街へと引っ越した。スラムは得体の知れない人間と金と危険で満ち溢れていたが、糞だのサイロだのは縁遠かった。
ある日小生はテレビジョンを介して自動乳搾り機なるものの存在を知る。
それは、いわゆる婦女の使う豊乳機(吸盤状の乳房を大きくする器具)とはまるで違い、何十もの乳を搾ってしまう、業務的なものである。
先ず、それの全景は巨大な円状になっている。古代ローマのコロシアムか、またはどこぞの審議会か。ともかくドーナツのように真中をくりぬいた構造で、牛達はそのドーナツ部分の上に乗っかって、余計に動いたり落っこちたりしないようにバーで固定される。
ドーナツの真中、中空になっている部分には人間が入って、彼らは牛の乳房に金属製のホースを取り付ける係を行う。ササッと牛の乳房についたゴミや糞などを取り払い、その触覚じみた部分にホースを取り付ける。牛は何を考えているのか目を細めて、タンクにはだくだくと体液が貯蔵されるのである。
人間は、必要があれば牛の乳房を溶接機のようなもので軽く炙ってやった。
体毛が伸びすぎると、乳房にゴミが絡まりやすくなり不衛生であるばかりか病気になってしまうこともあるのだという。
人間はその動作を順繰りに何十回と繰り返して、乳を搾るのである。
小生、その光景に衝撃を受けた。
キャトルミューティレーション、キャトルミューティレーション。
理屈や論理をなぎ払って、小生、いや、私の精神は宇宙の脅威を連想した。
幼少期に刷り込まれた父親像が、外界へ拡大投射されることにより『神』が生まれたように、私の原風景そして原体験は拡大投射された。拡大は地球規模を超え、宇宙規模へと広がった。そして、宇宙の果てにいるであろう、知性へと繋がったのであった。
リリカルトカレフキャトルミューティレーション。
なんと恐ろしい。
それ以来、私は肉じゃがを頬張るたびに宇宙の特異点へ想いを馳せずにはいられないのだ。
これが私の原風景に関する記述である。
同志達の創作および思案に善き刺激を与えることを祈りつつ、筆を置こう。
PS.
成人してから、小生は幼少期を過ごした田舎へ車を走らせた。
かつて遊んだ草原にアパートが建っていたり、かつての友人の家が更地になっていたり、月日がたてば、全ては変化するのだと当たり前のことを思い知らされた。
懐かしき牛舎といえば、周囲の畑に飲み込まれたかのように、跡形も無く消えていた。
畑の土を一塊つまみ上げると、カラカラに干からびていて、指の腹に無抵抗に潰されてボロボロと崩れて砂に変えるのであった。