母校の先生に贈る手紙
服部 剛
先ほど僕は、二十二年前に卒業した母校で
ある腰越小学校に電話した。今日で三十八年
間の教員生活を終えるO先生と、午後二時半
にお会いする為に電話すると、若い女の教員
が出て「あの・・・二十二年前の卒業生で、
O先生の教え子の者なんですけど・・・」と
遠慮がちに言うと、間もなく代わってくれて
「おぉはっとちゃん、今日はどう・・・?」
と、二十二年前より少し年老いたO先生が、
懐かしい僕のあだ名を呼ぶ声がとても元気な
のは、今迄三十八年間歩んで来た教師の道は
言葉にならぬ程の様々な想い出があり、その
ひとすじの道を最後まで歩み終えた感慨があ
るからであろう。
はっきりとした記憶は無いのだが、卒業し
て五〜六年後であろうか、高校を卒業して詩
を書き始めていた僕は一度、手紙に同封して
六年二組のことを書いた、とても詩とは呼べ
ない拙い散文を贈ったことがある。それは、
陽の暮れた放課後の、無人の教室でO先生は
一人教卓に立ち、卒業していった一人ひとり
の教え子達の面影を浮かべているという情景
を描いたものであり、もう一つその散文に描
いた印象的な想い出は、卒業後間もないクラ
ス会で、レストランの階段を上がる時、車椅
子のA君を皆の手で運んだ場面である。
不思議なもので、O先生が三十八年間の教
員生活が最後となる今日という日に、偶然僕
の仕事が休みになっていたことにも、目には
見えぬ何かの計らいを感じる。
O先生、長い間教師としての道を歩まれ、
本当におつかれさまでした。あなたはいつま
でも僕等の先生であり、僕等はあなたの教え
子です。
僕は今から家を出て、この手紙を入れた鞄
を背負って、花束を手に、懐かしい母校への
道を、歩いていきます。
平成二十一年・三月三十一日(火)