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突っ込みどころ満載の文をありがとう。
とりあえずうかうかと釣られたつもりで、突っ込みを入れていくことにする。
まず最初に日本語の文法を体系付けた嚆矢として本居春庭が挙げられているのだが、そこは別に異論を差し挟んでも仕方あるまい、筆者は読んだ本の内容をそのまま書き写してるだけであって、それ以前にも文法の研究があったとかどうだとか言うのは筆者ではなく種本の筆者であるところの足立某に言えばいいことだ。
ついでに言っておけば百歩譲って本居春庭が日本初の文法の「発見者」だとしても、日本語に文法がなかったわけではない。コロンブスが発見する前からアメリカ大陸がそこにあったのと同じことだ。いや、およそ文法のない言語などというものは想定できないではないか。
しかしながら「文法を意識しない」事と「文法が流動的である」事に「当然ながら」と書かれるべきほどの因果関係は存在しない。
そもそも「流動的」ってどの程度「流動的」なんだろう。氷河だって巨視的に見れば間違いなく流体だし、実は硝子だって流体だ。
俺はむしろ日本語ほど流動性の低い言語はそうはないのではないかと思っているのだし、物の順序で言えばアイヌ語や琉球語などはこの際置いておくにしても単一の言語を閉鎖的な環境で使用してきた経緯で流動性が低いからこそ文法に無自覚でいられたというほうが正しい分析なんじゃないかと思うけどね。
んで詩の形式として短歌だけが古来から生き延びているとか言う与太についてはじゃあソネットはどうなんだよと軽く突っ込みを入れておくことにする。
つかここまでって前置きなんだろうけどこの前置きは何のために置かれているかといえば日本人が文法に無自覚であるという前提を引き出すためでしかないんだよな。んでもってここで間違えてはいけないのは「日本人は体系としての文法に無自覚であった」というだけで、「日本語の文法そのものがなかった、もしくはいい加減であった」わけではない、ということだ。さて、その前提が後半どこで使われるのかと思って読み進めてみたんだが・・・・どこ?
後段、いよいよ短歌の話へ行くんだが、近代短歌の鼻祖正岡子規から話は始まる。
始まるのだけれど、まず子規が古今和歌集や百人一首を批判した「掛詞」や「序詞」あるいは「枕詞」これらは短歌の「技法」であって「文法」ではない。流石の子規居士も「文法」は軽視できなかったということであろうか。子規居士が従来の短歌から排除したかったものは宮廷文学としての短歌が持つ技巧性であり、偏狭な教養主義なのだと俺は思う。
んで、だ、子規居士の歌は
瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり
なのだが、筆者はここでなんだか重大な取り違えをしている。筆者は「みじかれば」と引用を誤った上で、文法的な間違いはこの際問題ではないのだという結論を出しているかのように読めるのだが、実際は「みじかければ」で文法的にちゃんとあってる。むしろ文法が韻律と拮抗した結果そこからはみ出しているのであって、それはそれで「あり」なのではないかしら。
んでそのあと筆者は韻律ではなく「調べ」とか言う独自の概念を持ち出すのだが、これが短歌の韻律とどう違うのか、ここには具体的な説明がないのでよくわからない。
なんだか知らないが「調べ」が損なわれる例として自作の短歌の文法的誤謬を正すと三句目の「調べ」が損なわれると言いたげだが、それが三句目字あまりになるということ以外に俺には元の歌と改作の区別が付かないし、大体最初に出した子規居士が堂々と三句目字あまりやらかしてるじゃないかよ、などと突っ込みたくなってしまうのだ。
他にもこの筆者の歌には
禁断は男や女のよろこぶねどこ毒は咲かせり赤き切り花
だの
熱病ランナー肺に熱風、血は沸騰。されども着かぬアラスカのゴール
だの
韻律ではないところの「調べ」とやらに忠実であると推定される歌はままあるのだが、「調べ」とか言う独自の概念持ち出して文法的な誤謬を正すと「調べ」が損なわれるので変えません、という主張はなんだかとてもあいまいで勝手気ままな言い訳とされても仕方ないんじゃないの?って気もするし、それが「詩の自由」だっていうんなら勝手にすればいいと思うよ、でもそれだったら文法の起源がどうの子規がどうのと何の関係もない話を言い訳に持ち込むのもどうかとは思うのだ。
文法的に正しいかどうかという問題は詩が詩である前に日本語として伝わるかどうかという、いわば詩以前の問題なんじゃないの?