春の入院
猫のひたい撫でるたま子
急に入院してしまった昔の恋人に頼まれて、花見をしていた奥多摩から病室へとかけつけた。携帯電話の充電器が欲しいのと、家の荷物を明日届けて欲しいので鍵を預かって欲しいということだったが、本当は誰かの顔が見たかったんだと思う。私も頭を打って入院したときにそうだった。
阿佐ヶ谷の彼の家で服やパンツなどの家捜しをしていると、ゴミ箱が満杯、缶やビンの飲みかけなどが散乱しており、つい片付けてしまった。干したままの洗濯物の靴下を裏返しているときに、何故五年も前の恋人の靴下をたたんでいるのかと不思議に思った。これは愛情からなのか、一人暮らしで帰ってきてから部屋が荒れていては不憫だという思いやりからなのだろうか。
床掃除などは断念し、目の前の洗い物やなんかだけ片して病院に向かう。
家を出る前、紙が散乱するサイドテーブルから彼のプリクラが入った封筒を見つける。女の子と写っているものがあり、それが茶髪で元気のよさそうな自分と違うタイプの女性だったので少しムッとしたが、多くを見れば私と写っているものばかりだった。彼もまた私と同じように、同じ多くの時間を私と過ごしている。きっとそれを上回る親密さで恋人を作ったことがないのだろうと勝手に解釈をして私は安心をする。彼にしっかり恋人ができた暁には、私は必要のない人物になるのだろう。肌を触り、その人間の温度を確かめる、最早互いへの興味ではなく使い古して一番心地が良い毛布なのだ。私はきれぎれにしか人間関係を結んでこなかったので、だらだらとたまに会っては更新され、恋人であった若い時代の私を知る彼の存在が貴重なのである。私の手元にはそのプリクラはなかったので、こっそり一枚頂戴した。
病室のなかで彼をみた。私の最近好きだった人が入院した去年の春も、私は病室にいた。病室と言う区切られた空間の中で、恋人でもない私が彼の世話を焼き独占できていた時間は、彼と過ごした時間の中で私にとって幸福なものだった。私と彼しかいない小さな世界が続き、他の女性と会っている心配をしなくてもよく、彼はそのとき社会や彼の周りの人間関係から隔離されていて何者でもなかった。そんな彼は毎日病室に来る私に対して、その時間だけ無邪気に私に頼り、病室の外では見せないような顔を見せた。全て差し引かれた病人の彼と私は、その短い期間だけ私達であった。
なにを話すでもなく時間があって、窓の外から今の彼には関係のない時間が過ぎ行き、夕暮れ前の白い光が病室の白い壁に彼の手のひらの影を長くしていた。それを目撃したのはまぎれもなく私だけであって、その情景を昔の恋人が塗り替えることはできなかった。それをするには、昔の恋人と私は時間を重ねすぎていたのだ。黄色い小さな花を三輪、病室に飾った。恋人でなかった過去の彼の病室には桜とチューリップと菜の花を飾っていた。チューリップのすぼまった花びらの中を私達は覗いた。そんな時間があって、そんな時間の彼と私達はいまもこうして生きているというのに、私はもう二度とあの場所へは行けないのだ。