その日は桜の花が咲いていた
岡部淳太郎

 あなたは憶えているだろうか。その日、桜の花が咲いていたことを。少し早い桜が、あなたの行末を暗示するかのように咲き、そして早くも散り始めていたことを。その日、あなたが亡くなった日、外のバス通りでは桜の花が咲いていた。道の両側の歩道は目の届く限り桜並木になっていて、その花がいっせいに咲きそろっていた。あなたはそのことに気づかずに、向こう側に渡っていってしまったのだろうか。あなたは死んでしまったから、あなたは僕たちと連絡の取れない場所に行ってしまったから、その時のあなたが桜の花を見たのかどうか、桜の花が咲いていたことを知っていたのかどうか、わからない。それどころか、こちら側にとどまっていてあなたが渡った向こう側のことなど何ひとつ知らない僕たちからすれば、死後も人の記憶が残りうるかどうか、もし残るのだとしても、あなたがそのことを憶えているのかどうかなんて、知る由もない。あなたがいなくなった後、僕たちが変らず元気にしていると、あなたに伝えることが出来ればいいのだけれど、それも出来ない。僕たちはここに残って、ただ静かにたたずむことしか出来ない。
 僕は憶えている。その日のことを、あなたが死にとらえられた日のことを、僕はいまでもはっきりと憶えている。僕があなたの知らせを聞いたのはもう辺りが暗くなり始めていた時間で、その時の僕はそれを聞いて驚いて、早くあなたに会いに行かなければと思って、いらいらしながら急いでいた。だから、いつものバス通りに桜の花が咲いていたかどうかなんて、気にかける余裕がなかった。だけど、あなたの死顔を見て、あなたが既に向こう側に渡ってしまってもう二度と帰ってこないのを確認した翌日、その時の呆然とした気分は、いまでも昨日のことのように思い出すことが出来る。あなたがいなくなってしまったという事実に対してどうしたらいいかわからずに、僕はひとりぼんやりと外に出て歩いていた。いつものバス通り。あなたも含めた僕たちが何度も何度も数え切れないほど通り、行っては戻ってきたバス通りを、僕はぼんやりと歩いていた。まるで心を失ってしまったような気分だった。僕が確かに持っていたはずの心がなくなって、心があった場所に変ないびつなかたちの穴が開いて、その中を眼に見えない様々なものが通りぬけていくような気分だった。見上げるとそこには桜の花が咲いていて、もうほとんど満開で、やっと咲くことが出来た喜びを存分に味わっているように見えた。足下に眼を落とすと桜の花がもう散り始めていて、路上を薄い桃色に染めていた。咲くことの喜びと散ることの悲しみの、両方がそこにはあった。まるでこんな運命に遭遇してしまったあなたと僕たちのために、咲いては散っているようだった。そうして咲いた次の瞬間にはもう散り始めている桜の花を見ながら、まるで他人事みたいに、ああ、もう春なんだと思った。それ以来、世界は変った。僕の中で世界は確実に姿を変え、他の人々が見ているような、以前に僕たちも見ていたようなものとは、まるで違ってしまった。人は桜の花に心を寄せる。毎年春が近づいてくると、いつになったら開花するのか気にして、咲けば咲いたでその色にその姿に喜んで、腰がふわふわと浮き上がるような気持ちになる。だけど、僕たちにはもうそんなことはない。僕たちはもう二度と、そんな気持ちになることはない。あなたがこの季節に、桜の花が咲く季節に行ってしまったのだから、あなたの死を受け止めた僕たちは、もう前と同じような気持ちで桜の花を見ることなど出来なくなってしまった。桜の花は僕たちにとって、多くの人が思っているのとは違った意味で特別な花になってしまったんだ。
 その日、あなたの死に接して僕が心をなくしたようにぼんやりとした気分になってしまったのは、あなたの死があまりにも衝撃的すぎて、そのために、あなたが死んでしまったという事実を簡単に受け入れることが出来なくなってしまったからなんだ。その翌日、外に出て桜の花を見上げては見下ろした後、夜になってやっと僕の元に悲しみがやって来た。あまりの衝撃のために、悲しみは遅れてやってきたんだ。その夜、僕は泣いた。あなたのために、あなたを失った僕のために、僕は泣いた。僕の中であなたの死と僕自身が一体化してしまって、僕があなたの死そのものになってしまったような感じだった。僕はあなたの死そのものとなって泣いた。僕自身が死んでしまったような、僕の中の大きな一部分が、あなたの死によってむしりとられてしまったような感じだった。僕は僕の中に、あなたの死を抱えていた。いや、いまでも抱えている。あれからもう何年も経ったせいで大分薄められてはいるけど、いまも僕の中にあなたの死は残っているんだ。たぶんこの先ずっと、僕があなたが渡っていった向こう側にたどりつくまで、それは僕の中に留まりつづけるだろう。この僕の中に遺された死はあなたの忘れ物かもしれないけれど、あなたがそれを取りに戻ってくることはもうない。だから、あなたの代わりに僕たちが、それぞれにあなたの死を大切にしまいこんでおくしかないんだ。
 あなたを送る儀式。通夜とか葬儀とか呼ばれている一連の儀式のこともよく憶えている。でも、それについて語るのはやめにしておくよ。あなたが向こう側に渡ってしまってからもう何年にもなるから、いまさらそれを語ったところでしかたがない。あれはあなたを送るための儀式だったんだから、それをいまあなたに向かって語っても大して意味がないだろうから。ただ、いくつかのことにはちょっとふれておきたい。それはあなたの体を焼いて骨壷に収めた時と、その骨壷を抱いて葬儀の列の先頭に立って歩いた時のことだ。あなたの体を焼いた時、後には砕けた小さな骨しか残らなかった。もともと背が低くて小さいあなただったのに、さらに小さく、骨だけになるなんて、皮肉なことだ。あなたの骨を骨壷に収める時、こんなにも脆く人のかたちは壊れてしまうんだ思った。いまになってゆっくりと思い返してみると、あの時もいまも、僕はあなたの死に一種の観念をまとわりつかせていたような気がする。火葬というのは、遺された人を観念的にするみたいだ。骨だけになってしまうのだから、その周りを観念で肉付けしなくてはならないのかもしれない。僕にはよくわからないけど、そういうことってあるんだろうか。
 その後、あなたの骨壷を持って、つまりあなたそのものを持って、葬儀の列の先頭に立って歩いていた時、空は雲ひとつなく晴れ渡っていた。あなたを失った僕たちの悲しみとは無関係に、空はだらしなく広がっていた。それはまるで、世界そのものがあなたの死と僕たちの悲しみに関心を示していないように思えて、余計に悲しい気持ちになった。それからあなたは、あなたが暮らしていた家で、僕たちがその後も暮らしていかなければならない家で、四十九日を過ごし、海の見える墓地にしまわれた。その墓地のある小さな町は僕とあなたにとって故郷みたいなものだったから、あなたが眠るにはいちばんふさわしい場所であるように思えたんだ。あの日も晴れていた。あなたの死にまつわる記憶では、天気はすべて晴れだ。あなたの死の翌日も、あなたの葬儀の時も、あなたの骨を納骨する時も、なぜかいつも晴れていて、その晴れ渡った空が、あなたの死を映し出す鏡のようだった。
 今年ももうすぐ春になる。もうそろそろ桜の花が咲くだろう。あなたが桜の季節に死んでしまったので、その年の桜が咲くのが早いか遅いか、あなたの命日を基準にするようになってしまった。その基準からすると、今年の桜は少し遅いみたいだ。咲いてはすぐに散る桜の花にいまもあなたの死を重ね合わせながら、僕たちはいまもこうして生きている。遺された者として生きている。あなたが渡っていった向こう側がどんな様子なのかわからないけれど、そこでも桜の花が咲いているのだろうか。もし咲いていなければ、向こう側からこちら側をちょっと覗いて、いつものバス通りの桜並木で花が咲いては散る様子を眺めてみたらどうだろう? それを見て、あなたはあなたが向こう側に渡っていった日のことを思い出すだろうか。そういえばあの日は桜の花が咲いていたと、しみじみ思うことがあるだろうか。僕は思い出す。毎年、こうして否応なしに思い出してしまう。その日は桜の花が咲いていて、その日を境にあなたも、そして遺された僕たちも、二度と戻れない変化を潜りぬけたのだということを、僕は毎年変らずに思い出すんだ。その日は桜の花が咲いていて、あなたが死んでしまったのだということを。



(二〇〇九年三月二十六日・妹の六回忌に)


散文(批評随筆小説等) その日は桜の花が咲いていた Copyright 岡部淳太郎 2009-03-26 20:34:39
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3月26日