行きつけの釣具屋さんで考える
北村 守通
渓流が解禁になって、時間を見つけては決して安くはないお賽銭を(入漁料とも言いますが)払いながら放し飼いの犬に追っかけられたりしながら、ボロボロの山道でコケにタイヤを取られて崖下に転落しそうになりながらも山に通っているのだが、未だに一匹を釣り上げることができていない。高知の渓流は難しく、やっぱり関東近郊の方が渓流釣りに関しては釣りやすかったのかなぁ、と後悔している今日この頃。一度リズムを狂わされてしまうと他のジャンルの釣りもリズム狂わされてしまって、どーも水辺に立っても釣れる気がしない。
そんなわけで、困ったボクは行きつけの釣具屋さんに通っては愚痴やら弱音やらを聞いてもらってはカウンセリングしてもらい、その代金として埃を被っている商品を買ってきては、次こそは、と三日坊主の誓いをたてながらイメージトレーニングに励んでいる。とはいえ、財布の中から札が消えうせレシートがその代役を担っている現状では以降どうなるかわからないが。
そうした釣具屋さんの中で、あんまり釣れないとぼやいていると、北村さんもうすぐパラダイスができますよ、と夢のようなお話が。なんでもお客さんたちに呼びかけて基金を募り、集まったそのお金で放流を行い魚を増やした釣り場を創ろうとしているのだそうだ。思わず口元が緩んでしまったボクはいつもより余計に買い物籠の中に使わないであろうモノ達をこれでもかと突っ込んでしまったのは言うまでもない。
自然河川に人為的に放流を行い、干渉することに対しては様々な論議があるのかもしれない。しかし、そこには様々な多くの学ぶ点が存在していると思う。自然河川に対して有志の人間達によって放流が行われる場合、勿論無許可で行っていいわけではない。対象となる河川の漁協と話をし、認可が得られた上でないといけない。放流する魚たちをどの様にして確保するかという問題もあるし、他の釣り人達に対する呼びかけもある。そうした呼びかけによって近年では”キャッチアンドリリース区間”とよばれる『釣った魚を持ち帰らずに、できるだけ元気な状態で河川に戻す』というルールを適用した釣り場さえも生まれるようになっている。キャッチアンドリリースという方法がどれだけの効果を生むのか、といった点については勿論まだまだこれから議論の余地がある。しかし、そこには確実に『よりよい釣り場』を求めた趣味としての釣り人達の自主的な協力による軌跡が残されているのだ。(なお、この『よりよい釣り場』に対する価値判断というものは、あくまでその主催者達個人の価値判断であり、それを他人に強要するものではない、ということも付け加えておきたい。)
この様な釣り人による運動、というものはなにも渓流に限ったことではない。小さなものでは有志の釣り人達による釣り場の清掃活動といったものも古くから行われているし、今なお積極的に広がっている。(それでも絡んだ釣り糸や、パッケージ、ルアーの残骸やなんかが転がっているという状況がなくならないのは悲しい限りであるが。)
つまり、何が言いたいかっていうと、釣り人達は法やシステムに頼りすぎることなく、自治的なまとまりを作って活動している、ということだ。勿論、それは釣り人達全体の人口からするとごく僅かな存在かもしれないが、その存在のお陰で今のボク達は多分、助けられているのだろうと実感することが少なくない。
対して、
ここ現代詩フォーラムではどうだろう?(勿論、現代詩フォーラムに在籍している会員達の中にはフォーラム外での、つまり現実世界での活動を精力的に行っていらっしゃる方々がいらっしゃることは重々承知しているつもりである。しかし、ここではあくまで現代詩フォーラムという一つの社会の中のこととしてお話させて頂きたい。)
様々な声が聞かれることがある。いや、様々な不平や悲鳴が聞かれることがある。
では、それは現代詩フォーラムという社会のシステムに問題があるのだろうか?
答えはイエスであり、ノーである。
システムに頼らない、社会創りという方向性も必ず存在しているはずであり、紹介させて頂いた釣り人達の世界における清掃活動にあたるようなものがどこかに存在しているはずである。もちろん、自主放流の様なシステムに協力を願わねば成立しない方向性もあるだろう。
例えるとするならば、ボク達は片野さんというオーナーの『メゾン現代詩フォーラム』というべき集合住宅の中の住民であって、その集合住宅内の自治体なりなんなりが存在しても決しておかしくないはずだ。もちろん、これはあくまで自治体であって加入を強制させられるものでもない。強制力を持つものでもない。しかし、何がしかの協力体制を展開することのできるような、そうした存在がそろそろ発現してもいいのではないだろうか、と思うのである。
正直、具体的な提言も出来ていないし、自分の気付いていない問題点などもあると思う。けれども『システムをどう使うのか』といった視点の下に皆さんと共に考えることができれば、と思い筆をとらしていただいた次第です。
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