私語りを積極的にせよ
偽者 / FAKE / フェイク
わたしがたりが忌避されるようになったのはいつごろからなのだろう。
他者批判の文脈で「お前の私語りなんか聞いちゃいないんだよ」というのを良く見かけるが、それは批判にも攻撃にもならないと思うのだが、これは他者を批判するほうの投影の結果なのだから、「私には語るべきものがない」ということを裏打ちするだけで、つまりは墓穴だ。
皆、「わたし」についてどんどんモノを言えばよいのだ。
どの道、いくら語ろうとも「わたし」のことを語りつくすことは不可能なのだから、湯水のごとく速射砲のごとく喋り倒せばよいのだ。
そうすれば怒涛のごとく押し寄せてくる広告屋の言説すらいつかは小さな声にしかならなくなるだろう。
公共性など無視してよいのだ。
嫌われたって別に良いのだ。
日本のインターネット空間は私的空間に過ぎないと侮蔑を含んだ言説が蔓延っているが、私的なもので埋め尽くされるなんて、素晴らしいじゃないか。
この宇宙の中で「わたし」以上に大切なものなどあるだろうか。
ナルシシズム万歳、公衆の面前で堂々とマスターベーションを見せ付けてやればよいのだ。
俺の言っていることがわかるだろうか。
これは「文学」のはなしだし「詩」のはなしだし、究極的には「存在」のはなしなのだ。
黙るな、叫べ、吠え続けて、喉を嗄らせ。