にくめと論〜嘘ばかりのフーガ〜
キリギリ
私の書く文章に実在する女は出てこない私の書く文章に実在する女は出てこない
私の書く文章に実在する女は出てこない私の書く文章に実在する女は出てこない
私の書く文章に実在する女は出てこない私の書く文章に実在する女は出てこない
私の書く文章に実在する女は出てこない私の書く文章に実在する女は出てこない
私の書く文章に実在する女は出てこない私の書く文章に実在する女は出てこない
私の書く文章に実在する女は出てこない私の書く文章に実在する女は出てこないパラレル!ねんどろいど!
「断定は常に狭い」と教師は言った。
「区別不能な我らの欲望!」と生徒は言った。
エロい詩を書く女人が朗読会、オープンマイク等に出向き
やはりエロい詩を朗読し帰る。その無防備さに私は驚く。無邪気と
言った方が当人に優しいだろうか。芸術はバリアなのだろうか。
「これは詩の朗読である」という前提が、読まれる詩と朗読者の間に
滑り込み身を守るのであろうか。(私は貴女という人間は貴女の書いた詩の
ようであると判断して構わないか?その詩が「偽りのない本心」によって
書かれていた場合に限り。詩の書き方としてそれを肯定する場合に限り。)
■貞操帯の二律背反
「私は貞操帯をつけている」と
女が恋人以外の男に言った時
その言葉が意味するものは絶望であるが
男が抱くのははち切れんばかりの希望である。
■恋人(彼氏)との性生活を話す女。
あらゆる男にとって、「恋人(彼氏)」は自分を含めた全ての男性と
交代可能であり、また、実際に交代したりする。
ここでまた1日おいた。
ファッション!チャチャチャ!ファッション!チャチャチャ!フー!!
<銀河鉄道999より引用>
で。あ。ば。察して。である。
無理なのだ無理なのだ死にものぐるいでやればやるほどそれは
日常から離れ歓喜なり悦楽なり苦悶なりに歪む表情はことさらエロス
頼むから落ち着いてくれないか私を誘っているのでなければ、である。
こちとら全自動である。キーワードに自動的に反応である。仕方ないのである。
全身を砂糖まみれにして「舐めるな」と言っても蟻には通じないのである。
文学なんてプピーである。目に見えないものを捕らえ続ける難しさ。
たとえ自らの信条に従い性という根源普遍的なモチーフを突き詰め引き倒し
絡まりほぐし隙き間から見える一筋の光それが新たなる地平を切り開く道標または
本来的な人間の在り方を示していようとも貴女の口から発せられる「セックス」は
貴女のセックスであり貴女の裸体なのであるそもそも貴女はどうやっても人類を
代表することは出来ないのであり結局は公から個へ個へと狭められる枠組みは最終的に
貴女のボディラインと重なるのである。心ではなく。
■奇異として(男を殺せ)
「よそ様にお見せするようなもんじゃないよ」と祖母は言った。
困ったことに。急にどうでもよくなった。
そうだ。だいたいアレだ。朗読会?詩のボクシング?オープンマイクなどに参加し
意気揚々と「聴いてください私の自意識!」などとのたまえる人間はみな異常だ。
きっと往来で恥ずかし気もなく接吻を交わすタイプの人間なのだ。きっと充実した
学校生活の中でスムースに初体験を済ませたタイプの人間なのだ。きっと恋人いない歴に
「年」という単位があることを知らないタイプの人間なのだ。きっと友人はそれほど多くはないけど
親友なら同性、異性を問わずいるタイプの人間なのだ。きっと同情を誘うトラウマの1つ2つは
いつでもポケットに忍ばせておくタイプの人間なのだ。きっと初対面から自然な流れで
ケータイ番号を聴いて3日後くらいに「自然に電話をかけられる」タイプの人間なのだ。
そして逢い引きの約束を交わし(驚くべきことにそれは成立する!)少量のアルコールの力は
借りるものの時が経つのも忘れお互いの深い部分まで語り合い意気投合し自然な流れで性交だ。
おめでとう婚前交渉。クラッカーでも鳴らそうか?それともトランペット?
ノエル、ノエルと叫んで呼べば、ノエルが来る。と、フランスの詩人ヴィヨンは言った。
私は何と叫んで呼べば良い?
詩人は報われない。身を削れば削るほど報われない。
それなのに貴女は自らの穴をさらに拡げ、指で捏ねくりまわす。
言葉は便利である。どれだけ困難なことでも「〜した」と書くだけで
実現できる。打楽器で海を割りました。ハンバーグの浮力で空を飛びました。
それなのに貴女は性器に指を出し入れして子供が出来ないと嘆いている。
自らの不可能性に目を向けて誰が幸せになるというのだ。私が子供を作ってやろうか。
あと1回続く。
追記:自由詩に投稿した「てぽ論」で終わり。