回覧車Ⅴ
ブライアン
神奈川県横浜市、みなとみらいにある大きな観覧車の中央に、電光の時計がついている。まだ、大学を卒業する前の頃だった。友人の知り合いの女の子が、モノクロの写真を大量に持ってきて見せてくれた時があった。そのなかの一枚に、四角いフレーム一杯にみなとみらいの観覧車が写っているものがあった。4:51、と時計は示している。その写真をずっと見ていると、彼女は横浜のみなとみらいの観覧車だよ、と説明してくれた。そうなんだあ、となんとなく相槌をうったものの、みなとみらいという聞きなれない言葉を、横浜のテーマパークか何かだと一人合点していた。その後、上京しみなとみらいを知った時は、余計な事を口走らずに助かった、と自分にしか分からない恥ずかしさを噛締めた。
その年は確か2001年か2002年だったと思う。ノストラダムスが見事に予言を外してくれたおかげで、成人式を無事あげることが出来た。影で恐れ続けた大予言を心の底から笑い飛ばせたのは、地元の小さな公民館で、スーツを着た20歳の同級生たちと、ビール缶をカチンとあわせた時だったかもしれない。恐怖からの開放と、ビールの酔いもあってだろう。どうでも良いことばかり、必死で話していたのを覚えている。本当に世界が滅びるのなら、世界のどこかできっと、人間がいた証拠を残すだろうな、と。だとしたら、ストーンヘンジや、モアイ像、アスカの地上絵は世界滅亡の痕跡かもしれない、と。
2004年か5年、就職出来なかったにも関わらず上京してきた。とりあえず、巣鴨の風呂なしアパートを家賃3万円で借り、東武デパートのレストラン街でアルバイトをすることにした。フリーターという横文字がうまいこと世間に認められたときだ。自由人と訳せば聞こえは良いが、結局のところ、僕が翻訳家だったら自由人だなんて訳すことはないだろう。味気も響きもよくないが、無職と訳はずだ。
とりあえず、の資金繰りは何とか確保したものの、一体この不況の最中どうやって仕事を見つけたらよいものか、と悩むというよりも投げ出した感じだった。
そこで知り合った一人の男性が、アルバイトの休憩中に話しかけて来た。みなとみらいへ行ったときはあるか、と。もちろんあるはずはない。巣鴨と池袋へ行くだけで精一杯なのだ。県を跨げるはずもなかった。彼は、彼女が出来たら行った方がいいと、意味ありげに伝えると、あそこの観覧車は世界が滅亡する際のモニュメントになるはずだったと、俺は踏んでいる、と。
みなとみらいと名付けられたエリアに、かつて、と語られるはずだったモニュメントが残される。以前、友人の知り合いが持ってきてくれた写真の映像が蘇る。もし、彼女のシャッターが押された時、世界が滅んでいたのなら、4:51、よりも未来に進むことが出来ずに、みなとみらいは無限の中に放置されることになる。あれから何年も経った。何度もあの電光の時計は4:51、を示した。けれど、1999年の夏の日、ノストラダムスの大予言は当たっていたとしたら。既に世界が滅んでしまった後だとしたら。みなとみらいの示す4:51、はかつての4:51、とは大分違うものだろう。
きっとそうだ。彼女がシャッターを押したとき、既に世界は滅んでしまっていたのだ。けれど誰も気がつかない。無限のなかに4:51、は放置され続けている。
上京して2年目、彼女と一緒に行ったみなとみらいは、世界滅亡のモニュメントではなかった。海の湿った匂いにさらされながら、みなとみらいの観覧車は時を刻んでいた。ゴンドラに乗る人々の視線は届かない。海から流れてくる風に、世界が滅亡した証拠を探し出すことは出来なかった。4:51、と示されたモノクロ写真だけが、世界滅亡の証拠だった。