気取らない中国小説家余華の『許三観売血記』の文体
里欣
気取らない中国小説家余華の『許三観売血記』の文体
前の中国語生徒さんが中国語学習の意味がわからなくなったようで、ずいぶん上級の方なので、余華の中国語版小説『許三観売血記』を薦めた。
実を言えば、余華の日本語版『兄弟』『活きる』を読むまえに、『許三観売血記』を初体験したおかげで、中国語にしかわからない紹興酒みたいな独自の余華味を発見したのだ。
いま何ヶ国語に訳されたこの作品『許三観売血記』は、なぜ日本で翻訳されていないのかと首を傾げるが、二年前の自分は売血なんてむごい話を想像し敬遠していた。しかし改めて読むと、やはり改めて感心した。
余華が決して気取らない。難解で華美の言葉の表面なんてより、スケッチ文体という短剣を自由自在に振舞う。口語や俗語や諺で読者を泣かし、笑わせたうえに、詩のリズムを踊らせている。
時代の苦難の風に吹かれ、命の柳がときに強く時にもろく、だが主人公許三観が決して屈さなく、親子愛、兄弟愛、夫婦愛のために売血した。読む前に読者の前に先入した卑屈感を砕き、許三観の内在がダイヤのように輝いている。
今の中国の小説家たちが長編を書き競っているように見えたが、振り返ってみると、この『許三観売血記』の長さは、寓話的だった。