誰からミルク
キリギリ

私は私の詩を書く。基礎、教養に欠けている。
貴方は貴方の詩を書く。ユーモア、広がりに欠けている。
読まれる前に書かれている私たちの詩を、私たちは見ている。
個々の物差しや優先順位によって組み立てられた言葉が
万人に理解されないことはよく知っている。エゴと個性。

私たちの完成形は常に何かを省いている。他人。

要確認。貴方は貴方にとって本当に書くべきものを書いているだろうか。
要疑い。詩とは本当に書くべきものを書かねばらなぬものだろうか。
要不審。本当に書くべきものなど本当にあるのだろうか。

キラ、キラ、する、白紙、だね。此処は。言葉で埋めよう。
矢印を決定しよう。無から有。しかし絵に描いた餅。

インスピレーション。貴方を見て即興で詩を書きます。
私の辞書は外見的特徴を嘲笑う語彙でいっぱい。貴方のは?

道と店。2つ合わせてアベニュー。キラー通りは殺戮日和。

愛の拡張は乱交であり、詩の拡張は合作である。あまりドキドキしないね。
1つの女性器に同時多発的に数多の欲汁を流し込んだところで
結実するのはたった1つ。産まれるのが双子かもしれないが除外。
しかし詩はそれと同じ様ではない。詩を構成する語彙、レトリック、
言い回しなどに我々は介入の余地がある。

さて。21世紀は多くの文化人が「間違った」「危険な」と前置きをする
「コミュニケーション」の時代である。SNS最高。我々は相変わらず
個別のマッチをしょぼしょぼ燃え尽きさせているべきだろうか。否。
我々は合作すべきである。出来るだけ多くの人数、脳みそ、感性を費やし
それらを十二分に発揮し、1つの詩を結実させるべきである。ニート、
官僚、介護士、パン屋、シングルマザー、女子高生、間抜け、不具者、団地妻、
DV夫、ロリコン教員、少年法に守られた殺人者、腐女子、中卒、コロッケマニア等々、
詩人として共通しそれ以外まるで違う人々。彼らの頭打ちの叡智をたった
1つの詩に注ぎ込むのだ。

そうして出来るものは何だろう。毒にも薬にもならないありふれた詩だろうか。
それともカフカ的現代社会に一筋の光をさす力強いランドマークだろうか。
ベンズカフェとかでやってみればいいじゃん。私は新潟だから行かないけど。


散文(批評随筆小説等) 誰からミルク Copyright キリギリ 2009-03-08 09:27:10
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