研究「緑川びの」(3)
生田 稔

研究「緑川びの」(3)

 三回目となる、緑川さんの作品はますます私の考えの中に深くいりこんでくる。彼女の形而上学とも言えるものがわかりだし、そして自分の内部でそれが、一層深化しだす。私は緑川作品を古いものから順に取り上げているが、彼女の作品に、一種の信用を置いている。三篇づつ取り上げその先は読まない。読むたびに新鮮なので、それがよいと考える。あらかじめ全作品に目を通し…というやり方はしない。手間を省くのでは決してない。
 では「満月」という作品を見てみよう。


満月
緑川 ぴの

向かい愛
M字に開く股
互いの脚からませて
剥き出しの生殖器
くじるように指先
で弄び
朝の気配
取り残された満月
肉壁の輪をくぐり抜け
先っぽから一滴
斜光に垂れて
舌根に絡む
ほろ苦き
先ばしり愛
君は誘う
悦楽へのセレナーデ
満月は
紅い口腔
蠢かせ
しどしどと
濡れる行間ゑ
終わり無き愛咬
破裂しそうに
膨れる刹那
噴きだす
白い波
にほふよ

 私はこの作品に渾身の力を込めて評したい。現代の若者はどう思うかわからないようなこの作品をよく読んでみるべきである。私は中学二年の時、真新しい学級机の上に同心円と縦棒と草による女性性器を彫りつけて先生にこっぴどく叱られた覚えがある。なぜあんなことをと今振り返ると、笑いで済ませない、人間の内部にある性に対する不満と、なりふり構わない14歳のそれに対する正直さ。マスターベーションに明け暮れるあの少年の日々の鬱極がそうさせたとしか言いようがない。「おめこ」というい言葉をその頃よく口にした、今ではクリスチャンとなり、不真面目極まるその言葉を、心の内部にあっても滅多に口にはしない。よくこんなことを思う「おめこ」が悪いのなら、何回も何回も実際に口にすればきっと、どうなるか分からないが、どうにかなるのではないかと思う。そんな逞しい力をこの作品に感じる。性の欲求不満は自己尊敬の喪失を招く。自己を尊敬できなくなった特に男性は、気ままな獣慾を発揮するようになる。教職にある人とか社会的に高い立場の人が性犯罪に走り。新聞や雑誌の好標的と犠牲になり失職し恥を被る。そうして一生人の前に出られない人になってしまう。私も高校の頃、性に関する過ちから学校を転校しなければならなかった。それをひどく悩んで、性欲こそ敵だと考えてそれからの一生を性との果敢な戦いをしている。73歳と10か月もう性の衝動はない。妻もそうである。
 性は男女平等である。一対一であるそれに対する法律の扱いがおかしいように思う。そして聖書に書いてあるイエスの教えも、男性向けであって、女性には配慮が少ないように思える。だが聖書には女性は子を産むことによって救われる。とあり我妻も一人子をもうけ、60歳にならぬうちに性欲が途絶え閉経した。私たちはこの詩のように思う存分性を楽しみ現在にいたっている。性がなくなっても私たちは純愛を楽しんでいる。
 あまりひつこくなっても、いけないのでこれくらいにする。




詩人
緑川 ぴの

街中を歩いていて
誰が詩人か
ひと目で
わかるのだろか

詩人らしい格好
たとえば
ベレー帽とか
黒っぽい服装に
サングラス?

詩人は
多分貧乏
だろうから
ブランド品など
着ていない

あり合せの服装で
道の端を
難しいそうな
顔をして
歩いているは

 この文章を読む人はたいていのところ詩人であろう。私もそうである。いつから詩人になったかと振り返ってみると、16歳ぐらいだった。窓辺で詩を書いた。その詩を今でも暗記している。緑川さんも立派な詩人である。でもこの「詩人」という詩は詩人は外見で判るかと問うている。判らないでしょう。画家はなんとか判るのではないか。私の乏しい経験からでも、何とか画家なら外見から判別できそうだ。そして歌人もできる、歌人との付き合いは一番多い。歌人は大体にしてスマートな風采の人が多い。お気づきになっておられないだろうか。俳人は禿げていてでっぷりした感じの人でもいいような気がする。でも此処に述べることは私の主観であり一般論ではない。

あり合せの服装で
道の端を
難しいそうな
顔をして     この最終連は当たっていそうだ。難しい顔をして道の端を歩いている、これは私だなーと苦笑するほかはない。詩人はすぐは分からないが、詩を作っているという人を振り返って考えてみればまさにこの詩の通りである。


詩人の性格
緑川 ぴの

詩人は
小心者で繊細な癖して
意外とだらしない
ちらかった原稿用紙の上
飲みかけの缶ビール
吸殻だらけの灰皿
空の100円ライター
そして一冊の詩集
ボードレールの悪の華

詩人は
たまに悪の華を開いては
おのれの中途半端な
不幸に悪態をつき
溜息一つ吐いて
タバコに火をつける

詩人だから不幸なのか
不幸だから詩人なのか

詩人俳人廃人成人聖人
私人新人美人公人工人

どいつもこいつも
役立たず

とりわけ役立たずが詩人さん
金にダラシナイばかりか
女にもだらしない

詩人だからそんな性格なのか
そんな性格だから詩人なのか

詩人は
タバコを吸い終わると
屁でもしようか屁の河童

 どうもこれは自分のことを言われているようで心もとない。自分の事というより詩を書く人の欠点を上げてあります。詩人は現フォなんかではどうな区分けができるのでしょううかね。いやこの詩は人間一般の欠点を言っているのです。これが欠点だと決めつければそうなんですが。人間はみんな詩を書くのです。いい声や、いい腕や、そんなものなくても義務教育さえ受けていれば書けるのが詩なんです。年取っていても、いいなくても、だれにでも書けるのが詩なんですから。詩人を職業にするのは難しいことです。大抵の人は趣味で終わるでしょう。でもとってもいい趣味だと思います。小説だとプロットを立ててとかなんとか色々技巧をこらしても読まれるかどうか判らない。詩人よりもっとプロになるのが難しい。まあここに上げられているような人でも詩なら相当なものを書ける。皆さん、どうかすごい詩人になりましょう。例えば緑川さんのように・・・


散文(批評随筆小説等) 研究「緑川びの」(3) Copyright 生田 稔 2009-02-27 12:16:33
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