猜疑と激情は滝になれ!
竜門勇気

ある朝。小便をしようとしたら
便所が浮いていた。
昨晩まではきっと、ここにあったのに。
真っ青なお空の背景に、便所はゆらゆらたゆたっています。
どうして僕をおいて行ってしまったのかな。
僕は地面に張り付いたままだよ。

振り返ると、お母さんのつま先が頭の上を滑っていく。
慌てて部屋に戻ってもがらんとしていて、ああ、昨日までの
暮らしはまるでお祭りの夜のあの気持ちのようだな。
そうっと感じて、ふと消えてさみしい。
あの気持ちが、暮らしなのだな、と思いました。

見ると、おばあちゃんがぐうっと足を伸ばして、とぼとぼと
部屋の床に足音を撒き散らしています。
青白い足首に涙があふれて、抱きしめようと手を伸ばしますが
おばあちゃんの肩は青空の遥か彼方。何ごとか優しく語り掛ける声はそぞろ。
かつて耳元で聞いたあの暖かさはそのままに、ただただ無意味なもこもこした
かぜの塊が頬を撫ぜるだけでした。

何で僕だけこんなに小さく、平べったく地べたに蹲ってなければいけないのだろう。
思わず神様に祈りかけますがつい先先日に無神論者になっていたのを
思い出し「ああ、姿なき、実体無き神よ。現実から見放された哀れな元支配者よ。」
こんな文言が口をつきました。
「存在を否定された存在が僕を裁くのですか?おお、神よ!」
いいえ、神に語りかけたのではありません。勝手に頼り、勝手に奪われる。
そんなものを神と認めたならば、それによって生きているとしたらこんなに醜いことはありません。
ただ、今は、おしっこをしたいのです。この歳で粗相をしでかした日には
神だの何だのといって、自尊心以外に守るもののない高宗ぶっている連中と
変わりないではありませんか。
しかしいまだ便所はふらふらと青くて青くてゾッとする空に浮かんだままです。
観念的なことを言えば「僕が浮いていない」ことと「便所が浮いている」ことの
決定的な隔たりが僕の尿意の行使を阻害している、といった状況です。


こまったなぁ、まいったなぁ。

仕方なく外で用を足そうと玄関の扉をつっかけを履きながら開けました。
そしたら外が浮いている。

こまったなぁ。どうしよう。

多分何もかもどうしようもないのだ。
俺は地面に張り付いたまま小便を漏らしながらわんわん泣いているしかないのだ。
神などいない。いるならば、この小便を止めてみやがれ!


散文(批評随筆小説等) 猜疑と激情は滝になれ! Copyright 竜門勇気 2009-02-21 22:47:15
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