死ぬのがこわいなー、と思って
竜門勇気

いやー、皆さん生きてますねー。
めちゃめちゃ生きてますねー。
まあこんなこと言ってしまうとさっきへらへら笑ってたような連中が目の色変えて「ただ・・・いきてるだけ・・・」とか言い出して僕がゲロ吐いたりするんですけどね。
おげー!ってあんた来週も生きてるよ!自覚してんならアフリカかどっかの貧困に挑戦している人々にそのあったけー便器でも輸送してろって!ってまあそんなことはいいとして。

まあ、いいとして。で、すげー死ぬのって怖いじゃないすか。死ぬのと歯医者行くのと選べっていわれたら十中八九、歯医者に行くじゃないですか。
めちゃめちゃ歯医者軽いじゃないですか。天秤にかけた瞬間歯医者(と歯科助手)が質量的に不可視になるくらいの絶対的な差があるじゃないですか。
歯科医がジミー大西でもほぼ揺ぎ無いじゃないですか。パワーバランスで言えば米軍対自治会みたいな能力差じゃないですか。

で、何が怖いかって方の話なんですが”死”のほうのね。そう。よくできました。
無!すごく無なんですよ!もう俺が何人のおばあさんの手を引いて横断歩道を渡ろうが、無!もう無って言うか、主観が存在しないの。何が無なんだかすらわかんない。
俺無になってるから。超虚無。スーパーナンセンス。しかもその無を感じる俺の意識すら媒体媒介すらないぐらいなーんにもない。
シナプスノン入力ノン出力の上に微生物分解だの、腐敗だの進んじゃってもうただの有機質だからね。さっきまで俺おばあさんの手を引いたりそのおばあさんにお礼言われてほっこりしたりそのおばあさんが無事孫にあえたかなー、孫は何歳くらいなのかなー、俺の性的興味を引く肉体をしてるのかなー、どんな匂いかなーとか思ってるその俺との共通点”有機質で構成されている”わお!
いいよ、いっそ生命活動済んだら珪素とか、無機水銀とかになれよ!こわ!死、こわ!

で。対抗する歯医者。はいもう負け決定。ドリルとシュゴシュゴいうあれだけでしょ?よく吸い取るあれだけでしょ?つよがんなよ。勝てると思うなよ。愛車に熊出没注意とかやめろよ。都市部にゃでねえんだよ。いくら岡山が田舎でも出ねえもんは出ねえんだよ。お前があちこち出没してるだけなんだよ。お前が引っ込んでりゃ万事解決なんですよ。とね。

でまあこれを考えながらキーボードパコチカ打ってる俺もあなたもいつか死ぬんですよ。すんごく平等に。
もちろん明日死ぬかも知んない。明日都市部なのに熊が出てきて死ぬのかもしれない。
もちろん明日死ぬかもしれないってことは生きてるかもしれない。明日、都市部なのに熊が出てきて死んだ後すぐゴルゴダの丘かなんかで再臨するかもしれない。けどその場合やもたてもたまらないとばかりにすぐに再昇天するから、あさってにはやっぱり死んでるかもしれないけどどうでもいいんだ!んなことは。
人類史上数件しかない例を俺にも当てはめられても困ります。困るんです。
だからこわい。死はこわい。怖いから生きてるんだけど、この本質はあれですかね?喪失なんですかね?自己の認識の喪失って、要は世界の喪失じゃないですか。
たとえば、今まで目が見えて居た人が、眼球を熊とかに食われたら”世界”のクオリアっつーか世界を感じ、認識してたデバイスが沈黙しちゃうってことですよね?
今までの生活からそれが失われるってことですよね?間違ってませんかね、大丈夫かな。

ということは、「生きていたものが死んだ」と。
まだ眼球ならいいですよ。認識するものが”減った”だけなので。
もしも、もしも熊が腹をすかせてたら。冬眠を途中で起こされて気が立っていてなおかつ近くに小熊とか居る、最悪に近い状況なら当然全部持ってかれると思います。
そしたら、もうあれですよ認識全部小熊の餌ですよ。ママのおっぱいから僕の記憶の片割れが小熊に吸収されてその後猟友会が登場してママのおっぱいから猟友会の記憶の片割れがこんにちわですよ。
下手してゴルゴダの丘から再降臨したら更にひどいですよ。ビックリしてる信者とかに「ママのおっぱいから小熊にチュウチュウされた。ともあれ原罪は・・・もういいので解散してください」とか。言えません。俺には無理です。
しかし、再臨さえもしなければそれを認識することすらできない。無だから!

構造物である魂が分解されて何かの糞になり、まあ今生きている我々ですら何かの糞の派生物なわけですがまた一からやり直しと。
はいこの僕の可哀想な腕の数ナノグラムは小熊ー残りはバクテリアで山分けー!んで後々太陽チョーしんせー爆発なんですけどー。で世界へ。
宇宙に拡散してっちゃう。超ちっぽけ。分子レベルで残ってたらいい方。
めちゃくちゃ耐えられない。今日も寝れない。誰かにおかゆ作ってもらうまで寝れない。
すっごく死はスッカスカ。死から先はすこぶる空っぽ。いや言い方が悪いですね。めちゃ希薄。その上あなたはちりじり。
意識すらない。意識を感じる器官カッサカサ。生まれた瞬間と死んだ瞬間までぜーんぶポイ。あなただけじゃないですよ。あなたの知ってること、やったこと、いいと思ったもの、苦しかったこと今苦しいことぜーんぶポイ。

僕はあれなんですよ、思い出してやなこと結構ありまして、深夜とかに一心不乱に壁に(その向こうに見えるオヤシロ様に)謝ったりしてるんですが、結局いー気分には勝てないじゃないですか嫌な気分って。だっていー気分のときっていー気分で何にも思い出さないし。そのとき嫌なこと思い出しても死にそうになかったら泣けば済むし。
それに嫌なとき思い出してくたびれてると大体いーことあって終わるじゃないですか。その気分。夜さみーとか思ってると、昼ねみー、とかではい、投了。見たいな感じじゃないですか。幸せなんだね・・・とかいう奴のほうが大体幸せじゃないですか。
サイってカワイーっていう奴は大体サイよりかわいいじゃないですか。サイよりマシじゃないですか。
だから大体人生で死ぬこと以外の恐怖って出落ちなんですよ。脳みそが縮むほどの恐怖を与えられた人にも、手足を失くした人にも五体満足に暮らしてる人にも、真の希望喪失ってのは完全な死以上ないんじゃないかと思うんですよ。
何かを願う主体が消えたとき、絶望を感じる主体すらも消えたとき。
喜びを感じたときは、続けもっとと思うし、絶望を感じたときは、どうにかなってくれ!頼むから!と思うんじゃないのでしょうか。どんな低い可能性でも。
だからこそ、死ぬのが怖い。
ゲーム世代の脳みそが叫ぶんです。見返すことも、続けることもやりなおせなくなるのもこわい!
いい年こいて。(今年の五月に27歳になります。応援してね!)



散文(批評随筆小説等) 死ぬのがこわいなー、と思って Copyright 竜門勇気 2009-02-05 08:56:10
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