壷坂輝代『探り箸』
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4903393321.html
壷坂輝代さんの詩集『探り箸』を読むと、この国に住みながら歳をとるということについて考えさせられます。
50の坂を越えた壷坂さんはわたしの母の歳に近いこともあるかもしれません。
『探り箸』の中の詩は、これから迎える自分のことを考えて読める詩集だとおもいました。
詩集の大きく三つに分かれています。
I章は箸使いのマナー「
嫌い箸*1」をめぐる連作
II章は彼女のご両親を中心にした家族の作品
III章は彼女の内面と、他者とのつながりの作品
となっています。
ご自身の経験をつづられていくこの詩集は、「書かれている詩」よりも、「見つけ出された詩」のほうが面白い詩になっています。
例えば、II章のなかで、母親の、恐らく乳がんの手術をみまもった経験を描いた『ほどかれる』は、この詩を見つけ出したときの壷坂さんを自分に引き寄せて考えうる詩です。
ほどかれる
―切ってください
母のためらわない声がひびく
わたしの声は喉元で止まったままだ
医師から差し出された選択肢
そのひとつをえらんだ母の決断
卒寿の身体に
はじめてメスが入る
四人の子の
いのちの根を太くした
その乳房に
手術室の前で
横たわったまま母はほほ笑んだ
ほほ笑み返したわたしの言葉が
閉まりかけた扉から
母を追いかけていった
麻酔からさめない母の
手を握る
庭の木立ちが
あたらしい緑を輝かせて揺れている
とつぜん
母がもつれた声を発した
―ありがとうございました
ありがとうございました
両手を
ぎこちなく胸の前で合わせている
いのちがほどかれたように
「四人の子の/いのちの根を太くした/その乳房」と、強調された「乳房」にメスが入ることへの感慨がありません。
もちろん、大人になった壷坂さんにお母様の乳房は物として必要ないのです。しかし、実際に切るという行為によって、壷坂さんの中で彼女の「母」に対する想いが、物から精神的なものにさらにうつりかわったように見えます。
だからこそ、声を出した「母」に向けられる「いのちがほどかれたように」という言葉の中に、壷坂さんの実感が込められていると感じられる。そういう詩です。
「母」と同じ病にかかりうる壷坂さんは、同じ病にかかられたときどうされるのか、私は気になってしかたがりません。
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I章の嫌い箸は箸の使い方を習ったときの記憶と、いま生きる彼女をつなげる作品です。
前にも取り上げた『落とし箸』は何度見てもすばらしい詩です。
手元から箸を落とす母親をいたわる言葉をかけながら、
わたしの人生の箸使いは
あなたから受け継いだもの
母と娘の
絆を今こそ食してください
あなたが育んでくれた
私の五味で
寂しさを充たしてください
という感謝の気持ちを読むと、私は自分のない記憶を探して涙が出ます。
『落とし箸』の全文は拙ブログの
『something 8』の紹介*2に引用しています、
I章では祖父と孫の箸使いによるコミュニケーションを描いた『なみだ箸』もいい作品ですし、II章の土笛では、「時の鑿(のみ)は容赦なく母の形を変えたが/時の刷毛は/心に積もった枷を払い去っていく」という、土笛を吹いている老いた「母」の躍動感を描く表現が鮮やかです。
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壷坂さんの詩集は全編で家族に対する想いがちりばめられていて、
26の私には、教訓へ駆け足で進む詩もあるのですが、
それでも、描写が重なった先で突然心の深くに暖かさを込めてくれる体験をさせてくれます。
紀伊国屋で注文できるのでよかったら読んでください。
阿佐ヶ谷で大村浩一さんたちとやっている詩人図書室にも入庫します。