混沌教室
エルメス
近くに住んでいる……たったそれだけの条件で、此処には全く関わりのない子供が集められる。
それが、公立小中学校、通称「文」である。(え、違う?)
地理的条件は、人間性とはほとんど関係がない。
したがって、学校、すなわち教室というのは異民族交友空間なのだ。
見事なくらいに皆が違う。いっそのこと人間性で国を作れば良いんじゃないか。(冗談です。)
パッと教室を見まわしても、同じような人って意外といない。
色んなタイプの人が、ほぼ均等に各クラスに配分されている。誰かの陰謀かもしれない。
……あ、教師か。
ところで、「クラスに一人はいそうな奴」ってのがいる。
本当に、クラスに一人はいる。
例えば、休み時間もずっと本を読んでいる人。読みたいから話さないのか、話せないから読むのか。
彼(或いは彼女)は、ほとんどの場合勉強はできる。しかし学年一位とかではない。
誰かに解らない問題を聞かれたりとか、そういうことは一切ない。
必然的に、苛めの対象である。
異民族交友空間では、会話が唯一のコミュニケーションとなっているから、仕方がないのかもしれない。
話しても面白くない奴、というのは、此処では退け者扱いだ。全く馬鹿馬鹿しい。
逆に、常に明るい男子(或いは女子)というのも、クラスに一人以上はいる。
僕は、こちらの人種ではないので解らないが、とにかく面白いのを良しとするようだ。
安全第一ならぬテンション第一。さぞ、彼らの人生は充実していることだろう。(皮肉です。)
授業中も空気を読んで、事あるごとにとにかく盛り上げようとする。
こういった人たちを煙たがる人は多いけれど、僕はそんなに嫌いじゃない。
僕は、というと、クラスにいそうなタイプ、ではない。
良くも悪くも、ある意味個性的である。……と自己分析している。
成績は上位だ。もっとも、これが何の自慢にもならないことは重々承知している。
「勉強ができたからって何になるんだ」という言葉は、言い訳か悟りかのどちらかである。
人間関係もそこそこ円滑である。問題がない、というだけだが。
無意識に、僕は常に人との距離をキープしようとしているので、親友はいない。
友達すら、いるかどうか怪しい。少なくとも、僕を友達だと認識している人は0に近いと思う。
(0.1くらいは居てほしい。)
恋愛とは無縁だ。
全く興味がないわけではない。しかし、僕を好きになってあげよう、などという物好きな人は、
恐らく教室という狭い混沌とした空間内で見つけるのは無理だと思う。
狭い、というのは絶対数が少ない、と言うこと。
確率が低くなるのは当たり前だが、だからと言って絶対数が増えたらどうだ、と問われると、自信がない。
こんな僕でも、少しは周囲と上手くやっていけるようになった。
周囲を沸かせる冗談を言えるようになったし、空気を読むこともそこそこできるようになった。
表面上の人間関係処理能力は、中学校生活の中で格段に上昇したと思う。
しかし、僕の本質は、中学校に入学した当初から全く変わっていない。
皆が内部を成熟させていく中、僕は独りだけ、子供のままだ。
……こういう「隠れ子供」も、クラスに一人はいそうな奴じゃなかろうか?
(というより、そうであってほしいというだけ。要は、独りが怖いんだ。)
(全ての感情は、非常に単純な起源である。全く、馬鹿馬鹿しい。)