挫折の青
亜樹

 昔から、ずっと絵を描くのが好きだった。一番描いていた中学校のときは美術の時間に支給されたスケッチブックを一人だけ使い切って、それでもまだ描ききれず、友達から紙を分けてもらって、ちびまくった6Bの鉛筆で、手を真っ黒にしながらただひたすら描いていた。
 でも不意に、自分が格別に絵が上手い訳でも、それで食べていけるわけでもないことに気がついて、それからは電話のときの手悪さ程度にしか描かなくなった。
 それでしょうがないなと思った。そんなもんだと思った。まわりの友達も大体そんな感じで、でも一人だけかたくなに挿絵画家になると言い張る子がいた。高校のときの同級生で、その子のことを痛々しいなぁとか思いながら私は見ていた。私はもうすっかり絵を描くのは諦めて吹奏楽部に入っていて、誰も私が中学校のときに油絵の具で真っ白なスカーフを汚していたことを知らなかった。完成品を見せられる度に、感想を言うのに困った。他の子は、上手だね、とか、すごいね、とかそんな当たり障りのないことを言っていた。その子は少し自意識過剰なところがあって、それを全部鵜呑みにした。・・・美術の時間に聞いたピカソの伝記を「まるで私のことみたいだよね」と言い切った彼女の顔は、酷く猿に似ていた。
 私はそんなこと言いたくなかった。なあなあの、薄っぺらい友情でその場に合わせて思ってもいないことを言うのが嫌だった。でも、直接何か言って角が立つのも嫌だった。だからいつも適当な返事ばかりしていた。
 結果、私はその子に疎まれた。 

 妹は、私よりずっと絵が下手だった。でも彼女は中学へ行っても、高校に行っても、挙句大学に行っても、絵を描くのをやめなかった。私のように、のちのちの就職の為に資格が取れる大学に、ではなくて、自分のしたいことができる大学にいった。私は大学では、本当に一握りの友人しかできなかった。キャンパスを歩く彼女たちと私の感性は、すがすがしいほど真逆だった。私はただ、一緒に美術館に行ってくれる友人が欲しかった。同じ絵の前で立ち止まって、「これ、いいね」とか、その程度の会話ができれば十分だった。
 やめればいいのに、と私は思っていた。私は妹に対してははっきり言った。「あんたの絵は下手だって」と。すると、妹は描き直すのだ。何度も何度も。私に指摘された箇所が直るまで。何度も。いつの間にか妹の部屋に転がるスケッチブックは、私が中学校のとき描いたものとは比にならないくらい高く積まれていた。
 先日、妹に大学の画展に誘われた。彼女の絵が飾られているらしい。私はもう、高校から先の彼女の絵は見てなかった。ひどく久しぶりに、妹の描いた絵を見た。
 それはやっぱり、仕事にできるようなレベルではなかったけれど、あの日私が描いていたものより、ずっとずっと素敵な絵だった。素晴らしい絵だった。
 その絵の前で立ち止まって、じっとそれを眺める私に、妹は気恥ずかしげに声をかけた。「どう?」「どうかな?おねえちゃんこの色好きだったよね」と。
 それは確かにあの日私が愛した、夜更けの空の色に似た青で、私は酷く泣きたくなった。
 
 妹は来年成人するのだけれど、相変わらず将来の話なんか少しもしない。ただただ毎日絵を描いて過ごしている。けれど、彼女は輝いている。ひどく幸せそうである。
 思いだす。高校時代の彼女は、今何をしてるのだろうかと。
 もし、今でも彼女が絵を描いているのなら、私は彼女に言いたいことがある。

 そうだ。私は貴方のようになりたかったのだ。
 貴方のように、妹のように、誰に何を言われたって、ただ自分の好きなことがしたかった。
 だからあの時、安易な同調はしたくなかった。

 いくら焦がれても、もうあの日の情熱は消えていて、私がスケッチブックを開くことはもう二度とないだろう。
 このごろ、かさかさと胸の奥でなる音がする。残ってしまった情熱の燃えカスは、不快感しかもたらさない。これはもう、どうしようもないのだろう。多分、あの日私は間違ったのだから。


散文(批評随筆小説等) 挫折の青 Copyright 亜樹 2009-01-30 21:35:52
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