鬼軍曹コアラ!
結城 森士

 時は1944年、太平洋戦争の真っ只中の話である。そしてここは密林のジャングル。木陰に身を隠しながら、部隊からはぐれた2人の兵士が息を殺して佇んでいた。一人は20歳前後の若者、もう一人は30前の落ち着いた青年だった。
「…やっぱり、部隊は全滅したのでしょうか?」
 押し殺した声で若者が聞いた。
「もしくは俺たちをおいて退却したか、だ」
 顔色を変えずに青年が答えた。
「冗談じゃない。…このまま死んでたまるか」
「あぁ、絶対に生きて日本に帰るんだ」
 若者は国に置いてきた母親のことを思い出していた。ここで自分が死ぬわけにはいかない。なんとあっても国へ帰り、母親を安心させてやらなければならない。父は俺に母を頼むといって3ヵ月後にサイパンで戦死した。そしてすぐに理系の大学生であった若者にまで赤紙が届き、戦地に赴くことになった。若者は年老いた母の為にも、必ず生きて帰らなければならなかった。
 一方、青年も国に置いてきた許婚のことを思っていた。もし生きて帰れたら必ず幸せにすると彼女に誓い、もし戦争が終わって2年たっても帰ってこなかったら自分のことは忘れてくれと言い聞かせた。別れが辛くなるから、列車の見送りに来るなといったのに、彼女はあの日プラットホームで待っていた。一生待っていると言って泣き崩れてしまった彼女のために、生きて祖国に帰らなくてはならないのだ。
 若者が意を決したように口を開いた。
「……敵兵がいたら投降しますよ、俺は…」
 青年は初めて若者の言葉に語気を強めた。
「…当たり前だ。無駄死になどするものか」
 2人は力なく目を合わせ、笑い、そして黙り込んだ。

 そのとき、思いがけず頭上から、今、最も聞きたくない人の声がした。
「貴様ら生きて辱めを受ける気か!それでも帝国軍人か!」
 2人は瞬時に麦茶を飲んだつもりが醤油だったくらいかそれ以上の衝撃を受け、すぐさま直立不動の姿勢をとった。
「申し訳ございません権藤軍曹殿!」
「決して敵軍の軍旗に下ろうなどとは!」
 するとまたもや頭上から軍曹の声が聞こえてきた。
「俺の聞き違いだったというのか!」
 2人は軍曹の居場所を探しながら叫んだ。
「新垣二等兵!お国の為に死ぬ覚悟でございます!」
「同じく市川!見事玉砕する所存でごずあぁぁッ!?」
 いつもは冷静な市川が上空を見上げながら素っ頓狂な声をあげた。
 なんとそこには軍服を身にまとったコアラが木の幹に抱きついて、2人を見下ろしていた。
「何をボケッとしている!敬礼はどうした!」
 軍服を着たコアラが踏ん反り返って喋った。
 2人は顔を見合わせ、深刻な表情で内緒話を始めた。
「あれはコアラですよね?」
「あぁ、コアラだな」
「軍服、着てますね」
「文献によると、ジャングルにコアラはいないはずなのだが」
「というかコアラ、日本語喋ってましたよ?」
 2人がこそこそと離している間にコアラはくりくりの丸いお目目をパチクリさせながら二人のすぐ近くまで降りてきた。
「おい市川!おんぶ!おんぶ!」
 そういうと、コアラは市川の背中に飛び乗り抱きついてきた。
「うぉぉっぉおおおおおおお!は、はなせぇえええ!」
 いつもは冷静な市川が我を忘れて取り乱した。人間、常軌を逸したものと接したときにはこのように壊れてしまうものだ。
「うろたえるな!お前が驚くのも無理はn」
「うぉおぉぉぉぉおぉおぉぉぉぉおぉっ!」
「ええい!黙らんかこの未熟者!」
 コアラは市川の頭を小突いた。かわいらしいお手手がチョコンと当たっただけだった。
 新垣がコアラを市川の頭から引っぺがした。
「おのれ新垣!貴様この私を片手で持ち上げおって!離せ!離せぃ!」
 コアラは短い手足をじたばたさせながら抵抗した。
「……貴方は本当にあの権藤軍曹なのですか?」
「ふん!決まってるだろう!私もなぜこのような姿になったのか詳しくは分からんがな」
 少しずつ正気を取り戻し始めた市川が呼吸を整えながら聞いた。
「ぶ、部隊は…?我々の部隊は一体…!?」
「……うむ。残念なことに……」
 コアラは言いかけて俯き、そして長い間黙った。コアラの両目に光るものが見えた。市川と新垣は事態を悟った。
「やはり全滅…なのですか」
「なんていうことだ。遠藤、長谷川、井上、緒方さん、中村さん、丹羽さん…みんな…」
「あぁ。…………みんな森の動物たちに変えられてしまった」
「えぇぇ!?」
 新垣と市川はほぼ同時に叫んだ。コアラは緩やかに叫んだ。
「おぉ〜いみんなぁ〜、出っておっいで〜」
 するとパンダが現れた。つられてキリンが現れた。同時にゾウさんが現れた。並んでライオンが現れた。その後ろからブタさんが現れた。隠れてシマウマが現れた。ひょっこりシカさんが以下略。
 パンダは言った。
「市川、俺だよ井上だよ」
 キリンは言った。
「首が長いとジャングルは歩きづらいな。よっ、新垣。俺は田中だよ」
 ゾウさんは言った。
「食糧不足に悩まずに済むから結構いいもんだぜ?あ、ちなみに俺、遠藤」 
 ライオンは言った。
「俺は敵兵を食べて食べて食べまくってやるぜ。中村だ」
 ブタさんは言った。
「ブタも悪くないな。ハンサムの緒方だ。お前らも早く動物になれ。」
 シマウマが言った。
「密林にシマウマは目だっていけねぇ。丹羽だ」
 シカさんが以下略。
 市川は叫んだ。
「なんでお前らは、そんな姿になってしまったんだ…」
 コアラは自嘲するように俯き、訥々と、ゆっくりと語り始めた。

「…こんな俺にも夢があってなぁ。戦争などで命を落とすのは真っ平ごめんだった。俺は昔から動物が好きだったんだ。…ふふ、笑われるかもしれないが、国へ帰ったら動物園を開くのが夢でね。子供たちに世界中の動物を見せてやりたかった。大きな世界を、大きな夢を、見せてあげたかったんだ。
 だがこの島へ来て1週間足らずで部隊はほぼ壊滅。本部との連絡も途絶え、もはや全滅は明らかだった。俺は心を鬼にしたよ。生きてこの島から出ることの出来ない運命だと、覚悟した。」
 市川がコアラに食って掛かった。
「私も生きて祖国に帰りたいんです!なぜそれをとめようとするのです!?国には許婚が私の帰りを待っている!生きて帰らなければならないんだ、たとえ敵軍に恥をさらそうとも!」
 コアラは首をがくがくガクガクガクガクガクガクガクガクガガガガガガガカカカカカカカキュイーーーーーーーーーンと揺らされ、ひどい眩暈をこらえ吐きそうになりながら言った。
「ならば、お前だけ一人生きて、祖国へ帰れ」
 市川の顔色がさっと変わった。雄たけびを上げ、なにやらよく分からない言葉を発しながら密林の奥深くへ走り去り消えた。
 遠くで「大日本帝国万歳」という声と銃声が聞こえた。
 コアラはそれすら気にせずに続けた。
「敵軍突撃令の出たその晩、俺は人生最後の夢を見た。日本に戻れないのなら、いっそここで動物園を開いてしまおうという夢だった。そして朝起きたらこんな姿に」



新垣は言った。
「という夢を見たんですよ、市川さん」
「こんな状況によくそんな能天気な夢を見てられるな…。俺なんかまた一睡も出来なかったぞ」
「いつになったら戦争は終わるんでしょうね」
「あぁ」
 ここは密林のジャングル。木陰に身を隠しながら、部隊からはぐれた新垣と市川という2人の兵士が休息していた。
時は既に1984年。コアラが日本に始めて来日した年。彼らは40年前に戦争が終わっていることを、まだ知らない。


散文(批評随筆小説等) 鬼軍曹コアラ! Copyright 結城 森士 2009-01-17 15:22:08
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